2012年3月25日日曜日

World Import Circle ワールド・インポート・サークル オフィシャルサイト


TEA

 わが家の小さな梅の木も花を咲かせ、外に出るとちぢこまっていた体もだいぶほぐれるような気候になってきました。手足がすぐに冷えてしまう私が、寒い冬にお気に入りだったものが、ジンジャーハニーティーです。ティーポットに紅茶葉とすりおろしたショウガを入れて湯を注ぎ、出来あがりに蜂蜜をスプーン1杯いれます。ちょっと変わったお菓子みたいな香りは、やみつきになります。温かい飲み物は、体の芯から温めてくれますし、何よりショウガは血行を促進してくれる効果があるので言うことナシです。私は紅茶が大好きで、サークルで取り扱った商品も色々愛飲していました。特に、インド・バハラッタのダージリンティーは、マスカットのようなさわやかな味がしてすごくお気に入りでした。これから春の新茶 の季節となるので、今回は紅茶にまつわるエトセトラを特集してみたいと思います。

 お茶の起源は、紀元前2737年頃、農耕や薬の神様である「神農」が木陰でお湯を飲んでいたところに、たまたま風に乗って飛んで来たお茶の葉がお湯の中に入り、その香りと味に魅了されたことが始まりだという伝説があります。実際のお茶の発祥地は、一説によると現在の中国、福建省、雲南省周辺からチベットにかける山岳地帯にあったのではないかと言われているようです。中国では、古来よりこのあたりに生育していたお茶の樹を紀元前2000年以上も前からお茶にし、不老長寿の薬として飲まれていたようです。この頃のお茶は、緑茶だったそうです。
 このお茶が西洋に広まっていったのは、1500年頃ポルトガル人がはじめて中国でお茶を味わったことが始まりです。その後1597年、オランダの商船が初めて東方へ船を向かわせ、東洋から多量の香料や香辛料、産物品をヨーロッパへと運んできました。その中に茶葉も含まれ、これがヨーロッパへお茶が運ばれた最初だといわれており、その頃のお茶は緑茶やウーロン茶でした。ヨーロッパ諸国は、遥か遠い異国の東洋文化に大変興味を持ったので、東洋貿易は一挙に盛んになり、東洋貿易会社が増え、全体的に東洋品の価格が下がり会社が共倒れする危険性がでてきました。そこで、当時貿易の勢力の強かったオランダが、1602年にオランダ東インド会社を設立し、東洋との貿易を独占し、市場に流通する商品の量や価格を操作でき るようにしました。

 今では紅茶といえば真っ先に思い浮かぶイギリスですが、紅茶文化が伝わったのはヨーロッパの国々の中でも少し遅かったようです。イギリスでは、はじめは紅茶といったら「薬」としての位置づけ程度だったのですが、1662年、イギリス国王チャールズ2世のもとへポルトガルの王女キャサリン・ブラガンサが嫁いできたことで喫茶文化が広まっていくのです。日本と交易があったポルトガルでは、イギリスよりも喫茶文化が進んでいたのでしょう、キャサリンは、嫁入り道具として茶葉や中国茶器、砂糖を持ち込んだと言われています。キャサリン王妃が、交流手段としてのお茶の風習を持ち込んだことで、イギリス貴族の間で喫茶の風習が始まりました。

 その後、1702年に食通・お茶好きで知られるアン女王が即位します。アン女王が特注したという洋ナシ型の銀製ポットは、「クイーンアンスタイル」として現在も紅茶通には有名です。また、ポットだけでなくテーブルウェアなども特注し、城に茶室を作って楽しむほどのお茶好きだったそうです。サークルでもおなじみの『クイーン・アン』シリーズの商品たちは、本当に見ているだけでも王室にいるような品格が感じられる素敵なデザインで、当時の優雅な様子が想像できますよね。(今回のカタログにもいくつか掲載していますのでご覧下さい)


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 また、現在でも紅茶の名門として名高い『トワイニング社』の創始者トーマス・トワイニングは、当時喫茶といえば男性のみのコーヒー喫茶だったものを、女性客も歓迎する紅茶喫茶にして1717年に初めて店をオープンさせました。トワイニング社は、イギリス王室御用達に任命されたことも数多く、創業300年以上一族経営であるそうです。由緒正しい紅茶の血筋という感じですね。この様なことがきっかけとなり、王室から始まったイギリスの紅茶文化は庶民の間にも浸透していき、イギリス人の紅茶消費量は莫大なものになっていきました。その頃のイギリスは着々と軍事勢力を伸ばしていき、オランダに戦争で勝ち1721年、ついにイギリス東インド会社が紅茶の独占輸入権を得て、しかも125〜200%の重税を課しまし た。 そして、それで得た富で海軍力を強化して無敵艦隊をつくり上げ、大英帝国の基礎を築いたのです。この独占輸入は、1883年まで続きました。 

 ところで、『東インド会社』というのがどのようなものか、みなさんはご存知でしょうか?私は、ジョニー・デップが主演している映画、『パイレーツ・オブ・カリビアン』で初めて知りました。何だかとっても悪そうな軍事政府のような感じで紹介されていましたが、今回紅茶の事でこんなに絡んでいたとは驚いてしまいました。『東インド会社』は、ヨーロッパの各国が東洋貿易を目的として設立された世界初の株式会社といわれ、1600年にイギリスが設立したのが最初で、その後オランダ・フランスにも出来ました。ちなみに、東インドとはどういう意味かというと、西インドの対義語でこの西インドとはアメリカ大陸のことを指します。当時の東インド会社は、貿易での独占権以外にも徴税権や行政権また軍事権まで握っ ていたので、かなり強い力を持っていました。当時はオランダの東インド会社が東南アジアとの貿易権を持っており、最初にヨーロッパにお茶を広めるきっかけを作ったのは前にも説明しましたが、「太陽の沈むことのない大帝国」と言われたイギリスが東インド会社をインドに置き、植民地化して東洋との貿易を伸ばしていき、ついに東洋の貿易独占権をも握っていきます。まさに、東インド会社がヨーロッパに茶を普及したといっても過言ではなく、紅茶の歴史には欠かせないものの1つなのです。この様にイギリスに繁栄をもたらした東インド会社ですが、紅茶にかけられた重税により、紅茶の密輸事件やアメリカの植民地独立といった 、歴史的大事件を誘発する事になるのです。


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〜ボストン茶会事件〜

 アメリカでは、紅茶にまつわる事件が、歴史を変えるほどの大戦争に発展していきます。1700年代の中頃、イギリスの植民地であった新大陸のアメリカでも、紅茶の大量消費時代に入っていました。アメリカの紅茶は、正規ルートではイギリスから輸入をしていましたが、植民地支配をかけた国々との戦いにより財政苦だったイギリスは、植民地であるアメリカに輸出するのに高い関税をかけ、非常に高値で売っていました。アメリカの輸入業者は、もっと安く入手する方法を試行錯誤した結果、イギリスからの正規ルートではなくオランダなどからの密輸入を行ったのです。当たり前の事ながらイギリスからの輸入量が減少し、逆にオランダなどからの密輸の紅茶が盛んになり始めます。その結果、イギリス東インド会社は、所 有する紅茶の在庫が過剰気味になってしまい、赤字の事態にまでなったのでした。それを救済するため、イギリス議会はアメリカへの関税を無税にする法案がアメリカの代表なしに、勝手に決定してしまったのでした。これに反発したのが、アメリカの紅茶密輸入業者です。安い紅茶がアメリカに大量に入ってしまうと今後自分たちが密輸で儲けることが難しくなるからです。彼らを中心に、反対運動や抗議集会・イギリス商品のボイコット運動などの抵抗が強まり、ついに歴史上でも有名な事件が起こります。1773年12月16日、日没後の闇の中、アメリカ市民たちは、ボストン港に停泊していたイギリス船に乗り込み、船に大量に積まれていた紅茶をすべてボストン湾に投げ入れたのでした。その時冗談交じりで言われた「ボストン湾とい� �ティーポットに紅茶を入れよう」とか「今日はジョージ三世の茶会である」などといった言葉がもとで「ボストンティーパーティー事件」と言われました。実はイギリスの植民地であったアメリカ人は、紅茶に限らずいろいろな事でイギリスに不満を持っていました。この事件は、そのはけ口の1つとされたのでしょう、そしてこの事件が発端となり、数年後にアメリカ独立戦争へと発展していくのです。

〜アヘン戦争〜

 17世紀後半のイギリスは、中国から茶をはじめ絹や陶磁器などを銀と引き替えに輸入していました。しかし、イギリスの紅茶人気は高まる一方で消費量が多く、銀が不足してきました。これに苦しんだイギリス東インド会社は、古くからアヘンを飲用する中国の習慣に目をつけ、自国の植民地であるインドの農民にケシを栽培させてアヘンを作り、銀の代わりにアヘンでの支払いを始めました。中国(当時は清朝)はすでに1796年にアヘンの輸入を禁止していましたが、密輸と国内消費は止まることなく、むしろ中国でアヘンは急速に蔓延してしまったのです。そこで当時中国の皇帝であった清朝皇帝は、イギリス側に「今後一切アヘンを持ち込まない」という誓約書を出す事を要求しましたが、イギリスはその要求を解除するよ� ��要求、しかしそれに中国側が応じなかったため、これを貿易拒否とみなし、イギリスは清朝に対して戦争を仕掛けます。この開戦の理由が「麻薬の密輸」という事で、イギリス国内でも「恥さらし」という意見が上がったようですが、イギリス議会が攻撃を承認したことで、1840年に清朝を終焉に向かわせる『アヘン戦争』が勃発しました。そして1842年、清朝とイギリスの間で「南京条約」が締結し、香港島がイギリスに割譲され、さらにアヘンの流入を拡大させました。それが清を滅亡の道へと進ませたのでした。この香港はつい最近までイギリス領として残っており、1997年に中国へ返還されたのは記憶に新しい出来事ですよね。


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イギリスは18世紀に入ると産業革命時代が訪れ、繁栄の時代となっていきます。このころのイギリスは、インドやスリランカをはじめ世界各国に植民地を持っており、その植民地の原材料をイギリス本土で加工し、また植民地へと輸出するという、製造販売産業が拡大していき、食料などの農産物は海外から輸入する流れをとっていました。その中の一つに「紅茶」も含まれており、今まで中国から輸入してきたお茶をどうにかしてインドで栽培できないかという考えが強まっていました。それには今まで持っていた東インド会社の中国茶独占権を失ったのも理由として挙げられます。しかし誰もイギリス人で茶の生産や加工における知識を持った人はいませんでした。そんな中、インド東部にあるアッサム地方で野生の茶樹の� ��種が見つかりました。早速、その木を使ったインドでの茶栽培が始まり、1839年にはこの「アッサム紅茶」がイギリスでのオークションにかけられました。それがきっかけとなり、本格的な紅茶のインド生産がはじまり、茶園も広まっていきました。イギリスは、海外から茶葉を輸入しそれを自国でブレンドしてブレンドティーとして輸出するという、茶の自給体制をほぼ完成させたのです。

 あの有名な紅茶メーカー、リプトンが「茶園から直接ティーポットへ」を宣伝文句に、セイロン茶を産地直送したのはこの後のことです。リプトン社の創始者トーマス・リプトンは、1850年にスコットランドのグラスゴーで生まれました。1890年、40歳の時、彼はオーストラリアへ向かう船旅の途中、ふと気を変えてセイロン(現在のスリランカ)で下船しました。当時のセイロンは、害虫の被害を受けたコーヒー栽培をやめ、紅茶栽培へと切り替えているところで、茶園を安く手に入れる絶好のチャンスでした。イギリスでは高価だった紅茶が、徐々に大衆の飲み物になり始めたころだったので、彼はすぐに紅茶を扱う決意をし、もっと多くの人が紅茶を飲めるように、彼は画期的な流通方法「茶園から直接ティーポットへ」のス ローガンのもと、茶の栽培から小売り販売にいたるまで自社でおこないました。そのリプトンの商標は、安定した品質と正確な量の証となり、紅茶の大ブームを呼びました。

 紅茶専門店へ行くと、実に様々な紅茶が置いてあってとっても楽しいのですが、その違いは、生産地も大きく影響しているようです。中でも、インドのダージリン、スリランカのウバ、中国のキームンは世界の三大紅茶と言われています。紅茶の生産は全世界の約30カ国で行われており、インド、スリランカ、中国、ケニアなどがその大半を占めています。ここでは、主な生産地と茶葉の特徴をまとめてみました。

<インド>

 年間約78万トンを生産する世界一の紅茶生産国です。18世紀にイギリス人ブルース大佐が アッサム茶木を発見して以来、積極的に茶木の栽培を推し進めました。広大なインドでは、その 気候風土の影響でいろいろなタイプの紅茶が生まれます。地方による茶葉の個性が強い国です。代表的な3つは、ダージリン、アッサム、ニルギリです。『ダージリン』は、ヒマラヤ山脈の麓の山岳地帯に広がるダージリン地方で栽培されており、収穫される時期によって香りや味がこれほどに違う紅茶はほかにありません。3〜4月に収穫されるファースト・フラッシュは 芽(チップ)を多く含み、独特の草のような香りや渋みがあります。5〜7月に収穫される セカンド・フラッシュはコクが増し、最上級のものはマスカットの香りがするといわれています。10〜11月に収穫されるオータムナルは、円熟した香りと味わいが楽しめます。『アッサム』は、インド紅茶の生産量の50%を占める一大産地アッサム地方で栽培されており、深い香りとコクはミルクティーに ぴったりです。『ニルギリ』は、「青い山」という意味で、南インドのニルギリ高原で1920年代から生産が始まりました。クセがなく飲みやすい、誰にでも親しまれる紅茶です。


<スリランカ>

 生産、輸出ともに世界第2位を占める、インド洋に浮かぶ小さな島です。19世紀の終わり、 サビ病で全滅したコーヒー園の代わりに紅茶葉の生産が始まりました。スリランカの栽培方法は、茶園の立地により茶葉の種類が異なります。ハイグロウン(高地)の代表がウバ・ディンブラ・ヌワラエリア、 ミディアムグロウン(中地)の代表がキャンディ、ローグロウン(低地)の代表にルフナがあります。標高が高いほどコクが増し、 香りも高くなりますが、水色は薄くなります。『ウバ』は、標高1300m以上のウバ地方で栽培されており、独特の強い香りとコクのある味、濃く明るい水色が特徴です。 ミルクティーにもぴったりです(私の大好きな種類です!)。『ディンブラ』は、タンニンの含有量が少ないため、アイスティーに向いています。 クセのない、飲みやすい紅茶の代表です。『ヌワラエリア』は、渋みがありしっかりした味ですが、コクが弱く水色が 明るいため、ミルクティーよりストレートで 味わいたい紅茶です。『キャンディ』は、古都キャンディを中心に栽培され、渋みが少なく飲みやすく、スリランカ国内でも最もポピュラーな紅茶です。『ルフナ』は、個性的でスモーキーな香りをもち、力強い味わいが特徴で、中近東諸島で人気のようです。

<中国>

 お茶の発祥の地中国の紅茶は、中国でのお茶の分類(緑茶・白茶・青茶・黒茶・紅茶・黄茶) のうちの一つです。ただし、中国国内では紅茶はほとんど飲まれません。完全発酵茶である紅茶は、 あくまで輸出用に作られた特殊なお茶であるようです。その代表的なものには、『祁門(キームン)』があります。『祁門(キームン)』は、上海の西に位置する安徽省祁門県で生産され、ほのかなスモーキーフレーバー が特徴です。薄めのストレートでも、ミルクティーでもおいしく飲めます。

<アフリカ>

 20世紀に入ってから、主にイギリス資本によって開発が進められた新天地です。 中心はケニア、マラウィ、タンザニアなどの東アフリカ。中でもケニアは豊かな土地と労働力、近代的な設備技術に恵まれ、何より気象条件が茶木にぴったり。品質が安定していることも強みで、一大紅茶生産国へと成長しています。『ケニア』は、ケニアの茶園の多くは標高2000m以上の高地にあるので、スリランカのハイグロウンティーに似てコクと甘さがあります。しかし渋みや深みはそれほどでもなくクセがないことから、万人向きの紅茶として、広く世界に需要があります。ほとんどがCTC製法(茶葉を砕き、裂いて丸めた製法で、早く味が出る)によるティーバッグ用の中身になります。『マラウィ』は、ケニアに次ぐアフリカ大陸第2位の生産国で、セイロン茶に似たしっかりしたコクはイギリス人好みのミルクティーに適 しています。

<その他の国>

 主要な生産国以外でも、その気候を活かした茶木の栽培が行われ ています。『ジャワ』は、インドネシアのジャワ島西部で栽培され、セイロン茶に似たクセのない深い味わいが特徴です。しっかりしたボディはアイスティーに最適。冷やしても茶葉の個性が弱くなりません。『アルゼンチン』は、紅茶の新興国。水色の濃いしっかりした紅茶です。『ロシア』は、1893年から栽培がスタートしており、ロシアンティー、サモワール(ロシア特有の湯沸かし器)など独特の紅茶文化を持っている、世界第7位の生産国です。ジャムやウォッカに負けないほど濃く、でもまろやかな紅茶です。『トルコ』は、生産は世界第6位と盛んなのですが、そのほとんどを国内で消費してしまうために輸出される量はわずかです。


 たかがお茶されどお茶。中国から東インド会社を経由して、ヨーロッパをはじめ世界各国に広まったお茶。その呼び名は、世界のどこでもとても似た名前で呼ばれています。中国では「チャ」、イギリスでは「ティー」、フランスでは「テ」、ドイツでは「テー」、ロシアでは「チャイ」…と。 これら各言語の呼び名は、茶を表す広東語のchaあるいは福建語のtayのどちらかの流れをくんでおり、広東語に近い呼び名で呼んでいる国々は歴史的に茶と関わっているところが多く、福建語に近い呼び名で呼んでいる国々はインドネシア経由で茶が伝わったのが特徴だそうです。今、私たちが気軽に愛飲しているお茶1つをとっても、こんなに世界の争いや文化が絡んでいたのですね。そんな世界の国の人々とのつながりにより巡り会えたお茶に思いを馳せて、のんびりと味わってみると、また味わいが変わるかも知れません。 ちなみに、現在、イギリス人の年間1人当たりの紅茶消費量は約2.6Kg。以前よりは減少傾向にありますが、これでも80%のイギリス人が、毎日平均5〜6杯の紅茶を飲んでいるという計算になります。一方、 日本人は年間1人当たり約100g強で、イギリス人の約25分の1だそうです。

 みなさんは、どんな味のお茶がお気に入りですか?ぜひ、気軽にサークルまでお便り下さい。お待ちしています!

寒くなってくると、朝の紅茶がおいしいですね。皆さんはどのようにして飲むのが好きですか?ミルクたっぷりという人、ストレートで、レモンでという人。今日はちょっと意外なお話をします。紅茶にレモンはおきまりとなっていますが、実はこのレモン、紅茶にとっては少々やっかいなお相手で、レモンの皮から出るオイルと紅茶の持つタンニンが結合して、紅茶が渋くなる原因となってしまうのです。そのため、紅茶の命であるせっかくの風味がそこなわれる結果となってしまうのです。今までレモンティーを楽しんできた私にとってはとっても意外なこの話、みなさんはご存じでしたか?言われてみるとレモンティー、たまにしぶーい時でもこんなもんだと思って飲んでいたのでした。やはりストレートで楽しむのが紅茶� ��来の味わいが感じられておすすめのようです。

 注文したグミ、カッチェス・ブルドッグ&ファーケルにはあまりのリアルさに大笑いさせられました。子供は不気味がっているのと大きめなのとで敬遠しちゃってもっぱら一人占めしてぱくぱく食べています。(ブルドック&ファーケル以外は子供に取られました。)



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