The Battle Of Evermore 2003
The Battle of Evermore by 清水義央 (2003)
●KENSO発祥の地、県相でのライブについて
クリスマスも近づいた今日この頃、お父様お母様でKENSOファンの方々、 いかがおすごしでしょうか。
「ハレ紀ライブ」の直前だったと思いますが、私のこどもが
「ねえ、サンタクロースって、パパなの?」 と訊ねました。
(ああ、ついにきたな)と思い、同時にまさに自分が、
(もしかして、サンタって、親?)という疑問を持ち始めた頃、
ある日偶然に物置きの階段に派手な包装紙に くるまれた「サンタクロースからのプレゼント」を
見つけてしまった時のことを思い出しました。
毎年この時期になると、子どもに気付かれないようにクリスマスプレゼントを探して
慣れないお店を右往左往しています。
もちろん、間もなく彼女も知ることになるのでしょうが、、、、、、、。
河合隼雄先生だったかが「小さい頃、サンタクロースを本当に信じた人は、
大きくなっても、心の中にサンタクロースの居た場所が残っている」というようなことを話されて
(或いは書かれて)いました。
「どうせいつか分るんだから最初から真実を教えたほうがよい」 という教育方針の方に対し
反論するつもりはありませんが、
私としては、大人になってもサンタクロースの居た場所が残っていた方がいいように思います。
さて、今回は相模原高校記念式典ライブについてで、高校生からのメールも掲載すると告知しました。
もちろん、後でお約束は果たしますが、その前に、ひとつ、今日、
正にさっき観て来たコンサートに ついて書きます。
今回のこのコラムは、少なくとも私にメールをくださった高校生の方々は ご覧になるでしょうから、、、、、
よい機会だと思うので。
今日、観てきたのはSwedenのグループ、Frifotです。
無理にジャンル分けすればトラッドミュージック ということになるのかもしれませんが、
優れた音楽のほとんどがそうであるように、
様々な要素が高い次元で融合された本当に素晴らしいグループでした。
Swedenでは人気もあり若い音楽家への影響力もかなり大きいと読んだことがありますが、
そうだろうなア、ホント、すごかったです。
私は整理番号6番をゲットできたので、2列目のど真ん中、しかも自分の前には丸いテーブルが あって、
自分の前には誰も座っていない、、、、最高の状態で、
生楽器の繊細な歌い回しや、それはそれは見事なアカペラがPAを通さずに聞こえる席でした。
ありがたや!
会場は割と小さく、でも満員で、とてもよい雰囲気でした。
でも、私としては、特撮ばかりで内容の無いアホ・アメリカ映画(なぜかヒットする)同様、
演出ばかりお金がかかっていて肝腎の音楽がさっぱりのコンサートに行って、 それでも満足している
(というか、世の中には、もっと他に本当に素晴らしい音楽があることを 知らないで、
拝金主義マスコミの情報に誘導されてきた)リスナーの10000分の1でも、
Frifotのように人類の宝とも言うべき音楽を聞きにこないかな、と心底思いました。
Frifotの招聘に関わったW氏は、かつてGENESISファンクラブの会長だか副会長だかを 務めた
言わばプログレ人なのですが、久しぶりに再会したW氏と終演後
「これなんだよね。 僕達がかつてロックに求めていたのは、こういうものなんだよな」という話をした。
今から30数年前、所謂プログレバンドの中で最初に聞いたのはたしかピンクフロイドだったけれど、
「なんなの、これ?!?!」ともかく全然、今まで聞いたことのない音楽だった。
でも、思春期の感受性が大いに揺さぶられた。
ここ数年、トラッド系の音楽のコンサートに通うのも、
そこにはまだ 「なんなの、これ!」っていう新鮮な衝撃を受ける可能性が大いにあるからなのだ。
終演後には、本番中に穴のあくほど見てしまったオリジナル楽器(アイリッシュブズーキと
マンドリンを組みあわせたような感じで、ちょっとここでは明かせない"すげえ"仕掛けがしてあった)
をメンバーのAleさんに見せてもらい、解説までしてもらった。
しかも! 「弾いてみるかい?」と、その貴重な楽器を弾かせてもくれた。感謝、感激。
弾いてみて、その響きに素晴らしさに、またAleさんの卓抜したアイディアに感服した。
高校生諸君、
今は、君たちの好きな音楽、それがセックスマシンガンズなのか"ゆず"なのか 知らないが、
勿論それを聞いていてなんら悪いことはない。
まずはその音楽が"好き"かどうかだから。
しかし、おじさん(相模原高校の生徒さんにとっては先輩)は思うのだ。
例えば、おじさんが高校時代に夢中になったLED ZEPPELINが、
解散から20数年たっても、 その音楽が輝きを失わず、
それどころか30年以上も前の映像が同世代のみならず次の世代にも衝撃を 与えるということが、
今、君たちが夢中になっている音楽でもありえるのか、、、、。
「別にありえなくたっていいじゃん」
その通り。
20年30年その音楽を聴き続け、自分がその音楽を心底愛したことを 幸せだったと感じるか。
「別に感じなくたっていいじゃん」
その通り。
でも、ちょっとだまっとれ!
おじさんも中学のころ、何かで知ってバリ島のガムランのレコードを買った。
ぜんぜん良さが分らなかった。
また、ロックミュージシャンがインド音楽(というものがあるのか、と最初は思った) からの 影響を
語っていたので、なけなしの小遣いを使ってインド音楽のレコードを買った。
情報がなかったので値段の安いのを買ったら、なんか、シタールの教則レコードみたいだった。
そこには、Jimmy PageもGeorge Harrisonもいなかった。
でも、随分たってから、それらのレコードのことを思い出し、聴いてみたら、、、、、、よかったんだよ。
音楽はそのままだった、自分が成長していた。
そういうことがあるから、自分が音楽を好きだと思ったら、
あるいは本当の意味で楽器で何かを表現したかったら、 今のうちから色々な音楽を聴いておいた方がよい。
多くの音楽に触れる時間とお金を惜しまないことだ。
(先日、同窓の忘年会の帰りに、ひとつ下の大変優秀な歯科医から思いがけず、
小学校の時にバロック音楽が好きになり、いまだにバロックが好きで、
LP,CD合わせて20000枚以上持っているという話をきき、なんか嬉しくなった)
そう言えば、ジェスロタルのI.アンダーソンが「日本人は軽薄だから嫌いだ。
自分が愛したモノをずっと大切にしないから」というようなことを 語っていたな。
そういう人ばかりじゃないけど、でも、そう感じるかもな。
Frifotの素晴らしいコンサートからの帰り道、 変拍子の歩行をしながら、
そんなことをとりとめも無く 考えていた。
さて、次は4月に来日するVASENだな、、、、。(これもSwedenのバンド)
東京公演2日ともチケット購入しよっと。
楽しみだ。
さて電車を降り、駅を出て、
この前痴漢を捕まえた付近にある オリジン弁当で晩御飯を買い(って書くと侘びしい感じがするけど、
素晴らしい音楽で心が満たされているから、全然平気)、
帰宅したら、 冷蔵庫に子どもが作ったと思しきケーキが入っていた。
「私がひとりで作ったんだよ。食べてね。じゃあ、おやすみ」
という メモが添えられていた。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なんか、最高の夜だった。
さて、では"記念式典ライブ" について書こう。
10月31日に、相模原市民会館大ホールにて神奈川県立相模原高等学校の創立40周年記念式典が
厳粛に執り行われた。
我々は、その式典の後半に文化行事として約100分のパフォーマンスを 行った。
観客は、現役の生徒さん約850名、学校関係者、歴代校長、同窓会役員、PTAなどなど 1300名くらいであった。
実を言うと、川崎クラブチッタでの『ハレ紀ライブ2003』の企画より前に、 この記念式典ライブの計画があった。
で、そのあたりで三枝くんも一時帰国してもらうなら、
一般オーディエンスへのライブもやろうかということになった。
まず2002年の10月に相模原高校のKM先生から、突然こんなメールが届いた。
_________________________________
初めまして。突然のメールで失礼いたします。 私は神奈川県立相模原高校の教師で、KMと申します。
相模原高校は来年2003年で創立40周年を迎えることとなりました。
多くの地域の方々、OBの皆さんに支えられ、生徒は勉強に、部活に、行事に大活躍し ております。
実はぜひ、KENSOのライブをぜひ創立40周年記念でお願いしたくメールした次第 です。
私は年齢40代後半でプログレも大好き、KENSOも前から存じておりました。
たまたま40周年行事の係になり、KENSOの話題が出たので、
さっそくためしにCD「夢の丘」を職員に聴いてもらったところ皆、絶賛でありまし た。
それで、ぜひKEOSOライブを実現したい!! という話になり可能かどうかお伺いしたく
突然のメールを出させていただきました。
会場は2003年10月31日(仕込み30日可能)相模原市民会館を押さえました。
県相の卒業生で世界的に活躍しているKENSOのライブを実現できたなら、
在校生すべてに聴かせることが出来たなら本当に嬉しいと思っております。
もし可能性があるようでしたら、お会いして、経費や条件等をご相談させていただきた いと思っております。
また所属プロダクション等ございましたら担当者の連絡先などお 教え下さい。
無理な場合もメールにて早めにご一報下さい(みんな楽しみにしています)。
とにかく突然のお願いで申し訳ありませんが、ぜひご検討お願いいたします。
2002/10/11
___________________________________
「相模原高校かあ」 どうかなあ、三枝が帰国できるのか、
村石、光田のスケジュールはどうだろう。
まあでも、やってみたいな。
と考え、次のような返信をした。
(KM先生の文章と私の発言の一部は割愛)
KM先生、初めまして。
kensoのリーダー、清水です。
私は確か10期生です。
光栄です。
ありがとうございます。
私も、実現できればと思うのですが、
現在のバンドには、御存知のとおり県相の卒業生は私しか おりません。
私自身はノーギャラでもいいのですが、 他のメンバーはそういうわけにはいきませんし、
コンサートの諸経費もかかります。
そうした金銭的問題があります。
それとスケジュールの問題があります。
ドラムの村石とkeyの光田は、大変に多忙で、 来年の10/31が既に埋まっている可能性もあります。
更にベースの三枝は現在ボストン在住(まあ彼は、重要なライブで あれば帰国しますが。
今年6月の新作発売記念ライブには帰ってきて くれましたし)。
全員が会えるのは、1年のうち数日だけという現状です。
USAのロックフェスから毎年のように依頼がきても、 スケジュールがあわず、2年前に初めて実現した次第です。
(この時も光田は参加できず、現在T-スクエアなどのサポート をしているの河野啓三くんが代役)
お金とスケジュールの問題をクリアしたとして、
あとは彼等自身がこの企画に意義を見い出すかという問題が あります。
kensoは彼等にとっても、普段の仕事ではできない アーティストとしての自己表現の場です。
だからこそ、 普段の仕事に比べたら、あまりお金にはならないkensoの 為に、
その才能と熱意を注ぎこんでくれていると考えます。
それだけに彼等の気持ちが重要になってきます。
可能性はあると思います。
メンバーにも誠意を持って、呼び掛けてみます。
こちらからの質問です。
1:市民会館のキャパは何人くらいでしょうか。
相模原のPA会社を使って、そこから安く機材を
借りれれば、多少経費削減できますが、
PAエンジニアおよびモニターエンジニアの2名は、
kensoと活動をともにしている人間でないと
無理だと思います。
2:観客は、生徒さんの全員?の他に、
一般にもチケットを売りますか?
3:コンサートのバンド側の重要な収入源は、
ライブ会場でのCD即売ですが、
非営利コンサートの場合、これができないことが あります。
今回はいかがでしょう。
4:録音やビデオでの撮影をする場合、その権利は すべてKENSO SIDE に所属します。
つまり自由に、何かの会合で映写したりはできません。
よろしいでしょうか?
最近海外で、関係者以外持っていないはずの海賊ビデオが出回ってしまい、驚いています。
そうしたことを防ぐためです。
以上、現実的なことを申し述べました。
私としても、若い世代に自分たちの音楽を伝えたい気持ちは 強くあります。
それが、母校の後輩とあればなおさらです。
ただ、やはり一流プロミュージシャンを抱えるバンドとしては、
現実的な事柄を無視するわけにはいきません。
そのあたりの事情をくみとっていただき、 御検討ください。
では、本日はこれで失礼します。
清水義央(しみず よしひさ)
__________________
村石さんのお話、そうだろうなあ・・と思いました。
清水さんには大 変ご苦労をおかけし申し訳なく思っております。
しかし、なおさら生 徒達に生を聴いてもらうことができたらと思い、
なんとか工夫して実 現できたらと思っています。
式典の日程をずらすことは可能なのか、 については難しい点があります。
1,まずホール押さえが1年前であり、しかも抽選であること。
2,それから学校のスケジュールとして前年度中に日程を確定する必要 があること(つまり3月上旬までに)、
特に今回は創立記念行事で早 めの確定が望まれています。
3,またKENSOライブが無理だと判明すると代替する企画を立ち上 げることになり、
それに相当な時間が必要になること。(学校側)
現時点で日程変更が全く不可能ということではありませんが、
学校行 事とホール押さえの抽選を考えると変更(代替日)もかなり事前に決 定する必要があります。
> __________________________
というようなやり取りが毎日のようにあり、
光田と話しあって、 もしお金の問題があっても、それは何とか工夫すれば大丈夫ではないかと、
「色々とやり方はありますよ。それ以上に、kensoというバンドの原点である 相模原高校でやるという意義が大きい」
という光田の意見が、大変に大きな支えとなった。
まあ、それから色々な現実的な交渉があって、
一時は村石くんが 「そのあたり、NGかもしれないのでトラも考えておいて欲しい」ということになり、
トラということになれば、小森くんしか考えられなかったので、 彼に連絡、快諾してくれた、
でも結局、村石くんのスケジュールがOKになり、
「小森くん、またしても、ごめん!」(かつても、こういうことがあったのです) という経緯もあって、
今年(2003年)の小森くんからの年賀状を見ると、
そんな経緯があったにも かかわらず「いざという時はいつでも呼んでください」って書いてあって、
有難いなあと感じたことを思い出す。
まあ、とにかく10月のKM先生からのメールから、
いくたの困難を 相模原高校サイドとkensoサイドが乗り越えての実現であった。
最大の困難は、もちろん、5月某日に突然、村石くんのスケジュールが NGになったことだったが、
まあ、それはもう過去のことだからいいや。
結果として「KENSO with 小森啓資」は、最高のライブができたんだし。
あ、そういえば、5月だったかに校長先生への挨拶もかねて 母校を訪問した時のことは
このコラムにも書いたので、 まだお読みになっていない方は、序章として読んでください。
さてさて、 様々な思いでむかえた記念式典ライブ、楽器搬入は前日の30日。
小学校の時のピアノ発表会、中学の時のブラスバンドコンクール、
高校時代は 自分は出演しなかったが、ELPやYESなどのフィルムコンサートや
日本のバンドの コンサートを見にいった、
そしてロンドンブーツにラメのシャツといういでたちで 出席し、階段からこけた成人式、、、、
そんな懐かしい相模原市民会館に昼過ぎに到着。
楽器搬入を手伝ってくれている軽音楽同好会の生徒さんたちと対面、
御礼にKENSOのCDを まるでサンタクロースのようにプレゼント。
「え、うれしいかも」
「ちょっと、すごいかも」という反応が楽しい。
ああ、高校生なんだな。
茶色い髪の子も、携帯みている子こもいるが、なんかすごい元気だ。
私自身の中にエネルギーが注入される感じが確実にある。
どのようにジャマイカ訛りで話すこと
楽屋には生徒さんの手作りのイラスト入りポスターが!
(これは、今でも私の自宅スタジオに貼ってある、だって嬉しかったんだもーーん)
なんか、どんどん気分が盛り上がってゆく。
大変だったけど、実現できてよかった!
私は楽器のセッティングをスタッフにまかせ、
96歳の祖母が毎日をすごしている老人施設を2時間ほど訪問。
ちょうど、お仲間でケーキを作っている最中だった。
「僕だと分るかな」、、、、ここ数年会っていないし、もう96歳だ。
ところが、、、、、 「お、よしひさか」と気付き、そのあとは涙、、、。
高校一年の時、私は大病をして2か月くらい入院し、その後、
実家で唯一エアコンのあった祖母の部屋で自宅療養した。
祖母は、当時の私が徹夜で勉強したり、ギタ−をいじったりしていたのを 直に見ている唯一の家族だ。
大学の時、どうしても欲しかったダブルネックギタ−を買う際に、 援助してくれたこともあったな。
そんな祖母との再会も、私にパワーを注入してくれたので、ここに記しておく。
そして式典当日。
kensoの前には、いわゆる式典、すなわち来賓の方々の挨拶や、校長先生のお話、
校歌斉唱(光田の キーボードを使用)などがあり、
それに生徒さんたちのパフォーマンスがちりばめられる。
マンドリン部、吹奏楽部など、それぞれみずみずしい演奏が楽しかったが、
圧巻は"KENSO"と胸に書かれた(当たり前だが) ユニフォームで華麗な演技を披露した
チアリーディングだった。
あの地味で堅実なイメージしかなかった母校に、こんなにも元気なギャルが在籍していたとは!
もうおじさん、眼がパチパチしてしまいました。
幻惑されました。
(楽工房の太田さんによれば、チアを見て楽屋に引き上げてきた清水さんの顔は 幸福感に満ちていたと、
歩き方も浮遊していたと。まずいことに、光田にも見られてしまった)
それはともかく、 それぞれの演技、演奏は、勉強も大変だろうに、かなりレベルの高いものであった。
これからも是非、自分の好きなコトを追求してほしいものだ。
さて、生徒さんのパワーをもらい、いよいよ我々の演奏だ。
舞台のそでに立ち、アイヌのムックリを基調としたオープニングSEが流れ出すのを 聞く。
エッ? もしかしてハンドクラップ?
KENSO!KENSO!の声も聞こえる。
舞台監督の海老原さんが「凄い人気ですね」と微笑む。
ホントにすごく盛り上がっている、高校生たちが!
光田が「俺達を甘くみるなよ」と笑って言う。
そして私はステージへ、、、
私のソロギタ−のあと「太郎という生き方」「精武門」を演奏。
光田の前の生徒さんから
「どういうわけ?!おい、どういうわけ?!」と いう大きな反応があったことをあとから聞いた。
私の斜前の女子生徒が「かっこいい」と言ってくれた。
なんか、本当に楽しかった。
もちろん、寝ている子も中にはいたが、いいのよ、それで。
私のMCも自分で言うのもおかしいが好調好調。
当時履いていたロンドンブーツも持ってきたし、 男子生徒むけのシモネタギャグもかまし、、、。
"変拍子講座"は完全にシラっとしてしまったが、 まあそれは覚悟の上、ぜんぜん平気。
いや、とにかく楽しかったし、
このライブを実現してくれた 方々全員に深く感謝しながら演奏していた。
そして本編最後の曲「空に光る」の時、自分にとっては驚くべきことが起きた。
川崎クラブチッタにいらした方は、
私がこの曲をレスポールでなくポールリードスミスという ギタ−で演奏したのをご覧になっただろう。
そう、今回はポールリードで弾く予定だったんだ。
ところが「GIPS」で使ったssギタ−をギタ−スタンドに置いて、 自然に私が手にしたのは、レスポール。
私が18歳の時に買った、初めての本物、つまりギブソン、そして、
相模原時代に苦楽をともにした愛器だった。
「空に光る」の演奏が始まって初めて気がついた。
ありゃ、レスポール弾いてるわ、私。
終演後、ssギタ−の制作者である志村さんと「そういうことがあるんだよね」という話しになった。
志村さんは「願いかなえるーー」で使用したあと、裏で調整してくれた ポールリードをステージに持ってきて、
私に渡そうとしたんだけど、
「清水がレスポールを手にしたんで、ああ、そういうことだな」って思ったんだよ と話してくれた。
「空に光る」、1982年のオリジナルレコーディングはもちろんレスポールで弾いている。
メンバー全員が女子生徒さんから花束贈呈を受けたあと、
全世界初演の「暁に楽師が」を 演奏したのだが、その前に。
記念式典の様子は、kensoの楽屋にあるモニターテレビで流れていたのだが、
式典が始まる直前に、バスケットボール部顧問のT先生から
「学ランのボタンは全部上まで閉めなさい。 携帯電話を持っている生徒は電源を切りなさい。
一切録音、撮影はしてはいけない」という ような注意が、本当に厳しくされていた。
楽屋にいて、くだらない話で大笑いし、校長先生の訪問に飛び上がるくらい驚き、
その場を繕っていた KENSOメンバーは「きびしいんだね、清水さんの母校」という雰囲気で聞いていた。
でもその時
「携帯を出して、撮影しまくれ」とか言ったら面白いだろうね、と 誰からともなく言い出して、
あ、それロックっぽいかも、ということになり
「暁に楽師が」の前に、煽ったところ、みんなまた素直に携帯だすんだよね、で、 撮影しまくってた。
いい感じだぜ、後輩!
feel so good!
ride on!
Back in the saddle! まずいかこれは。
そんなこんなで終った式典ライブ。
終演後は、軽音楽同好会の生徒さんが楽屋に挨拶に来た。
楽屋は、お座敷で、座ぶとんがある、、、そう、そんな雰囲気の楽屋だ。
10枚くらい重ねた座ぶとんに肘をかけてリラックスしている小森くんは、 さながら親分の風格。
生徒さんたちが畳に正座しているのが可愛かった。
まるで親分に本日の稼ぎを報告している子分たちのようだ。
顧問のKM先生から「ひとりずつ、担当楽器と、今日の感想や質問をしなさい」という
"さすが先生"的、授業中のようなお言葉があり、
「どうやったら、ドラムが上達しますか」とか「うまいですね」とか、 素直な質問、感想があり、
とても微笑ましかった。
「ドラムのスティックいただけますか」という女子からの要求に対し、 ローディに
「 おい、スティック!」
とだけ言って、ちょこっと手で指示を出した小森くんは、やっぱ、親分ぽかった。
自宅に帰ってメールをチェックしてみたら、高校生からのメールが!
いや、嬉しかったね。
これから、紹介しますが、私、11月の軽音楽部のクリスマスコンサートにも行って しまいました。
ギタ−も弾いてしまいました。
でも、やっぱ、若いエネルギーって凄いなああ、
経験や技術ではどうにもならないものを 持っていると心底思ったね。
ギタ−をかき鳴らして、おそらくは日本のロックバンドの曲を叫んでいる男の子を 見つめる
室内なのにマフラーをした(この感覚がオヤジなんだそうだ)可愛い女子生徒、
地味ーーーーーなんだけど、ホントにロックが好きなんだろうなと思われる、 男子生徒、、、、
いたよな、私の頃も、、、結局変ってないのかも、本質的には。
ありがとう、相模原高校の生徒さんたち、
多くの可能性を秘めた君たちの幸せを 先輩として心から祈っているよ!
では、メールを紹介しよう。
?ー?ー?ー?ー☆ー★ー☆ー★ー※ー※ー〒ー¥ー?
差出人 : ☆M☆
送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 8:58 PM
件名 : 初めまして!
初めまして! 私は、県立相模原高校に在学中のものです!
今日、式典に参加してKENSOのライブを聞かせていただきました(^_^)
私は、県相生には、理解できたんだろうか、と心配していました。
正直、「あまりわからなかった」と、意見をもつ友達もいました。
けれど私は、KENSOのライブをみて、すごく感動しました!!
リハーサルに出ていたので、始まる前にステージから流れてくる音楽に耳を傾けていました。
その時から体のそこに響き渡る感じで・・・その感動はなんともいえませんでした。
私が特に心に残ったのは、題名はわすれてしまいましたが、
「妻が北海道の・・・」というエピソードを語ってくれたのを覚えています。
その曲が、私の全てに響き渡ってきました。
行った事も無いのにその場所へいったような・・・。
私に、こんな感動を与えてくれたKENSOのメンバーの皆さんに感謝します。
ありがとうございました☆☆
p・s キーボードの光田さん、「空に光る」の時のピースがかわいかったです♪(>▽ ふぁんになっちゃいました。(笑)
差出人 : ☆M☆
送信日時 : 2003年 11月 5日 水曜日 7:50 PM
こんにちは! お返事ありがとうございます☆
返事なんてもらえると思ってなかったんで嬉しかったです(>▽ そういえば、あの北海道の曲は、「美深」 という曲なんですか!
良い曲ですね!
ライブの時、照明も手伝って良い雰囲気でした!
また、是非聞いてみたかったりするので、HP等を見て、ライブにも行ってみたいなと 思います!
当日、隣りで聞いていた1番仲の良い友達が、
「私こういう音楽好きなんだ」って言っていて、2人で盛り上がってたんです♪
なので、行くならその友達と行きます☆
KENSOの皆さんにも(特に光田さんに♪)会いたいです!
これからも頑張ってください!応援しています(^O^)/‾‾‾
送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 10:38 PM
こんばんは!夜遅くにすいませんm(__)m県相軽音楽の小森さんにスティックもらったSです!
今日は本当にありがとうございました。最前列でみれたのも生で聞けたのもすごいよかったです(>_ 感動しました☆あたしはドラムしかやってないんでギターその他はよくわかんないんですけど、
すごかったです!
歌がなくても全然楽しかったです(^^)プロのドラムをあんなに間近で聞けて本当に本当に感動でした!
叩き方が格好良かったです!
また機会があったら是非ライブなどにもいけたらいいなって思ってます!
あたし達軽音楽同好会も11月の19、20、21に学校でライブをやるので良かったら
是非きて頂けたらと思います。
本当にありがとうございましたm(__)m
送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 11:19 PM
県相軽音の者ですm(_ _)m今日のライブお疲れ様でした。
ほんとうにすごかったです。
感動しました(T_T)
僕は準備を手伝わせてもらったのですが、プロの人の仕事を間近で見れてとても勉強になりました。
プログレッシブロックは初めて聞くジャンルでしたが、すごく興味のもてる音楽でした!
これからも新しい音楽をつくって頑張って下さい!!
送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 10:53 PM
件名 : 県相の軽音の者です!!
朝のリハから観せて頂きました!!今日は本当にライブカッコ良かったです! !
素敵なライブをありがとうございました!!
歌がなくいので初めは取っ付きにくそうだと正直思ったんですけど、
歌がないのに曲から情景みたいのがボワ〜っと浮かんできて特に氷島は感涙物でした。
これからKENSOサンをいっぱい聞かさしてもらいます。
これからも頑張って下さい!!
送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 11:00 PM
メロディは少ししか覚えてないけど衝撃跡残りました!
やっぱ本当に音を楽しむのはLIVEじゃなきゃ!
あんなになもPAPじゃない音楽をやるとは思ってなかったんで、凄い面白い!と意表を突かれ感動しました。
最初は理解しようと頑張って聴いてたんですけど
すぐROCKされちゃって一人でイッチャッタって感じでしたよ!暴れたかったですよ!でも椅子が邪魔で。
でもCD買ったんでヘッドホンでじっくり聞き込んでこのアルバムじっくり成長させてもらいます(^O^)
そしてまたLIVEに行きたいです!
また清水さんの曲紹介があったのもあっていつも絵が見えましたよ!
面白いコンセプチュアルな音楽っていつもいい視覚的で絵を見せてくれるんですよね!
インスト独特のLIVEのよさがほんと最高でした!
� ��ロディ重視のカラオケMUSICは飽き飽きです いい所も確かにあります、
けど音に飢えきってる音楽ファンにはひとまず圧倒的なものを食べたいんですよ!
いつか清水さん達KENSOの人にも負けない半端ないユーモア&オリジナリティ溢れるでクレイジーな音を
出してやろうと思います
いつか相模原の雄になったりますわ
長ったらしくてすいませんでした!
読んでいただいてありがとうございます。
今日はほんと楽しかったです自分の道を再確認出来ましたし、
かっこいい先輩を持てた事がマジ嬉しかったです!
また必ずLIVEに行かせてもらいます!
(清水註;この方は卒業して間も無い生徒さんのようです。もっと原文は長かったのですが)
送信日時 : 2003年 11月 1日 土曜日 8:51 PM
今晩は。はじめまして、
昨日の市民会館での演奏本当に素晴らしかったです!!(^-^)私は県相の三年生のMSといいます。
受験生なので勉強もしなくてはいけないのですが、私は何より音楽が好きで、
邦楽洋楽問わずいろんなジャンルの音楽を聞いています。
大学に入ってバイトを始めたらた〜くさんCDを買うつもりです。
高校に入るまでは意識していなかったのですが、自分は音楽を創ろうと思うようになりました。
成功するには運も必要だと思います。
でも私は自分が音楽を仕事として食べていけなくてもずっと携わっていたい!・・という位 好きです。
しかし自分は全く無知なので表現する手立てがわかりません(*_*)
だから短大にいってそこで英語の勉強をしたら専門学校でシンセサイザー等を教わるつもりです。
とにかく、昨日のKENSOの皆さんの迫力のある演奏で私は自分がやりたい事を改めて認識しました!
最近のテレビで本当に良いと言える音楽が少ない中、
KENSOのような音の深いバンドは貴重な存在だと思います。
これからもいろんな人に感動を与えて下さい!
昨日のライブとそして長いメール読んで下さって有り 難うございました。
明日の川崎でも頑張って下さい!
それでは失礼します
送信日時 : 2003年 11月 1日 土曜日 10:48 PM
リハーサルお疲れさまでした。
私も本当は専門学校にそのまま行きたいと最初は思っていたのですが、
安定した職業に就くのを望んでいる親には自分の夢をまだ言えず・・(^^;
それと、歌詞をつける事になった時に役立つように短大で英語と仏語を身に付けたいので、
専門学校に行くまで少しまわり道をしようかと思います。
清水さんにもここに至るまで他の人が知らない所で苦労や努力をなさったかと思いますが、
私も自分の曲を出せる時の喜びのために頑張ります!
シンセサイザーの事はきっとわからないことだらけなのでその時はよろしくお願いします(;_;)
それでは明日も頑張って下さい!
お返事どうもありがとうございました!
送信日時 : 2003年 11月 5日 水曜日 9:19 PM
件名 : 初めまして!県相1年のMと言います。
こんばんわ。この前の式典でお手伝いさせていただきました、軽音楽部のMといい ます。
あのライブ以来、音楽の幅がすごく広まりました。
いただいたCDをずーっと流しつづけている今日この頃です。
私はギターボーカルをやっているのですが、MCが大の苦手です…
なので清水さんを見習ってノートに書こうかなと思っています(笑)
これからも頑張ってください!!
私もみんなの心に届くようなライブや音楽ができるように頑張ります☆
では、さようなら。
送信日時 : 2003年 11月 23日 日曜日 10:18 AM
県相一年軽音のMです。
クリスマスコンサートどうでしたか?
私のバンドは清水さんがいらっしゃった次の日でした。
初のギターボーカルに挑戦!だったんですけど、失敗してしまいました…
でもとっても楽しかったです☆
そして何より、清水さんのギターさばき(?)を間近で見れて光栄ですっ!!
清水註:これは、クリスマスコンサートの後いただいたメールですね。
送信日時 : 2003年 11月 9日 日曜日 11:56 AM
件名 : 感動をありがとうございました
はじめまして、県相40期生のひとりです。
ライブは大好きです(たまに見に行きます)この前のライブは感動そのものでした!
本当にありがとうございます!
熱い魂が僕の心の中を駆け巡りました!
やっぱり燃えている人を見ますとこっちも「ああ、がんばらなくちゃな」って思います。
清水さんの学生時代の話も感動しました。
たとえ変なことでも、思い出がたくさんある人は人生を楽しんでいる証拠です!!
清水さんはすごいです!
今、僕も人生を楽しもうといろんな人と会話をしています。
音楽もたまらないです!!(大音量で聞くのがとくに好き)
また、KENSOライブを見たいです!本当にありがとうございました
清水註:「たとえ変なことでも」って、おい!いったい俺のどこ� ��変なんや。
バーチャル石黒彰「いや、清水さん、変だよ。いや、変だったと言いかえようか」
なぜ人々はショッピングモールを歩いていない
_______________________________________
他にも、色々とメールをいただき、ついには恋の相談まで受けてしまったのですが、
いやああ、これにはまいりました。
「これを聴かずしてロックを語るなかれ!」ということなら 一ヶ月でも話し続けられる自信がありますが、
恋については、、、、。
やっぱ誤酢屁裸ーズに登場してもらいまっさ。
最後に、今回の公演を最初に企画してくださったKM先生からです。
送信日時 : 2003年 11月 5日 水曜日 8:30 PM
清水さん、一年間本当にありがとうございました。
おかげさまで、40周年にふさわしい、 刺激的で印象深いイベントを成功させることが出来ました。
生徒のみならず職員の中にも ホンモノのロックを初めて聴いたというものもあり 溜飲が下がる思いです。
(中略)
清水さんの生き方や音楽に対する真摯なありかたは 多くの生徒に感動を与えました。
ロック魂(というものは死語?)もじんわり伝わりました。
いい公演をありがとうございました。
KENSOミュージシャンの方々とスタッフの皆さんに お礼申し上げます。
お互い、年齢を重ねてまた再会しましょう!!
___________________________________
KM先生、お世話になりました。
本当にありがとうございました。
50周年の時は、私は56歳ですが、また呼んでください。
________________________________
以上で、この秋のライブ総括企画全3回はすべて終わりです。
この秋のライブ2本とそれに至る過程は、物凄い刺激に溢れており、
一時は健康を害するほどでしたが、
この経験により、自分がまたひとつ生まれ変わった気さえしています。
かつて全力を注ぎ込んだ 『天鵞絨症綺譚』も『ハレ紀』も私にとっては既に過去のものとなりました。
『ハレ紀2003年ライブ』の記録についてのリリースは、まだ未定ですが、
楽しみにしていただいてよろしいかと思います。
相模原高校の映像も何らかの機会に、、と考えています。
みなさん、本年も本当にありがとうございました。
そして2004年、KENSOは新しいスタートを切ります。
みなさんも、良い年をお迎えください。
12月7日から12月19日にかけて記す
BGM:「IHUNKE」Umeko Ando/「LET IT BLEED」Rolling Stones/
11月に中国国宝楽団のコンサートで買ってきたCD数枚、 中国語なので読めません。
追記:文芸誌「すばる」の2004年1月号(今、書店にでている号)の、
慶應大学文学部教授の巽先生の「読書日録」にKENSOの事が
書かれています。巽先生、ありがとうございました。
御興味のある方は、ご覧になってください。
●『ハレ紀2003』アンケートにお答えする
今回の「相模原高校記念式典ライブ」と「ハレ紀ライブ2003」に向かう バンドの勢い、
また自分自身の気合いは並み大抵ではなかった。
それが診療の方に悪影響を及ばさないように 診療スケジュールをたてた結果、
11/4 以降の歯科医としての毎日は予想を遥かに越えた忙しさと なってしまった。
まあ、でも忙しいくらい結構なことではあるのだが。
たまってしまった経理関係を片付け、
診療終了後に「再生医療」の勉強会に出席し、
休診日には小学校の検診や子どもの学芸会参観、
恩師K先生との診療前早朝症例検討会が2回、
それに加えて、これも10月はパスさせてもらった教会の礼拝でのオルガン担当も復活。
嗚呼、睡眠4時間プラス昼寝30分の日々。
しかし、11月26日、内科的疾患を持った患者さんのインプラント(人工歯根)手術、、、
なんて 書いても歯科医以外の方には、どれだけ神経を使うものかは分からないでしょうが、、、
あ、 今回青森県から川崎まで来てくださった歯科医の方には分っていただけますよね、
それと歯科大軽音楽部の後輩、●松くん。
何っ?!分からない?、、、もっと勉強せいよ、●松くん!
事前の勉強やら準備やらが大変だったそのインプラント手術もひとまず無事に終り、
ほっとしたのも束の間、 12月3日からは新入社員雇用のための面接週間と、ひき続き新人研修なので、
急いで"ハレ紀"ライブ特集第2弾を書く事にする。
前回も書いたが、KENSOのライブ終演後のアンケート回収率は凄く高いらしい。
終演後によくこれだけ書けるなと思うくらい、ぎっしり書いてあるアンケートもたくさんある。
(私は、他のバンドをやっていないので分からないのであるが、
打ち上げにきた友人のミュージシャンや コンサート制作会社の方が口々に言うのです)
今回、初めてKENSOのライブ制作をしてくれた「楽工房」さんのオフィスには、
ライブから3週間たっても、まだアンケートが(A4用紙5ページにわたるものも含めて)届いているらしく、
担当者が驚いていた。
「kensoのファンの方って、みなさん熱心ですね」と。
本当に嬉しいことだ。
また 遠方から高い交通費をかけていらしてくださる方々、 本当にありがとう。
先日、私のクリニックに治療に行く際には是非アンケートを読みたい言っていた著名スタイリスト
(彼女自身を取材した番組が放映されていたと、私のクリニックのスタッフより報告あり)にして
熱心なkensoファンの女性は、治療終了後、待合室で全部読み終わった後、
私の気付かなかったことを指摘してくれた。
「最近聞き始めた人が随分いるんだね。20年以上もやっていて、すごいことだよ!清水さん。」
あ、それは、確かに嬉しいですね。
まだまだ養老院には入らなくて済みそうだ。
というより、この音楽を養老院に入れなくても 済みそうだ。
数名のベテランファンを自認する方から(今回のライブに限らず)、
「あの子たちは分っているのだろうか」という意見もいただくことがあるが、
それでは聞くがね、、、、という気持ちになるよ、まったく。
それぞれの感性でkensoを楽しんでくれればそれでいいいんだよ。
メンバーだって、何年も演奏してから
「あっ、この曲、そういうことだったんだ」って 気がつくこともあるんだし。
私としては、長年のファンもありがたいし、若いファンが増えているというのは、
我々の音楽の中にそれだけのパワーや普遍性というのがあることになるのだから、 これはまた有難いのである。
それに新しいkensoファンの方の意見というのが、 実に的を射ているいるんだなあ、これが。
もちろん思いもよらない部分に感動してくださっていたりということもあるが。
自称"音楽通"に、訊ねてもいないのに陳腐かつ退屈な音楽論を展開されるより、
「音が耳からだけではなく、身体中に響いてきたので圧倒されてしまいました。
もう少し音楽理論を学んでからkensoに触れると楽しさ倍増なんだろうな」
(清水註:そんなこともないのです。今のあなたでよいのです)
「リズムの難しさはまったく感じず、音楽って気持ちいい!と思いました。
自分が何も強制されずに自由な気持ちで楽しむことができました」
「kensoの音楽はとにかくかっこいい。健ちゃんもkensoでプレイしている時が一番カッコイイ。
お客さんも男性が多く、「ウオー!」という歓声もかっこいい」
「TVや街で"骨"のないうすっぺらい音楽ばかり聞かされていて、
乾き切っていた心が満たされていくのが感じられた」
といった素直な感想のほうが、読んでいて楽しいし、それが明日への活力となる。
こんなに我々の音楽に感動し、次の作品やライブを楽しみにしてくれているファンが いるんだ
(しかも、今のところ増えている)ということは、メンバー全員にとって大きな励みです!
クラブチッタの2日前に行った相模原高校ライブでの反応に関しては、
次のこのコラムで書こうと思っているが、
プログレッシブロックなんて言葉さえ知らなかった若者が
「あれから毎日、kensoサン、聞いてます」
「美深を聞いて、まだ行ったことのないはずの北海道の風景がうかんできました」など というメールをくれたり、
「プログレッシブロックっていうのを、これから聞いてみようと 思います」なんていうメールをくれたり、、、、
今年6月だったか、 難波弘之さんが「クラシックファンのためのプログレッシブロック講座」
というのを開催されていたのを横浜のYAMAHAに おいてあったチラシで偶然知ったが、、、、、
難波さんと、なんとかしないとね、と話していたことも少し実践できた気がする。
私自身は今でこそ、いわゆるプログレはあまり聞かないが、私の一時期を支えてくれた 大切な音楽。
既に自分の骨格であり血であり肉である音楽。
感謝と敬意は持ちつづけているのだから、こうした反応も嬉しい。
さてさて、 最近は音楽的なことについて、"ありがてえアドバイス"をしてくれる人は減り
(残党の一例は 前回のコラムの最後に掲載。)、 なかなか有益な意見が多くなってきた。
音楽的なこと批判されたって行政機関の"苦情受付"じゃないんだから、
我々の音楽に何ら影響を与えることはないということが分ってきたのかな。
自分自身のこと考えたって「つまんないライブだったな」って思ったらアンケートなんて 書かないし、
関係者から「楽屋で、●●に会ってゆきませんか?」なんて勧められても
「いや、やめとくわ」となる。
若いころは、血気さかんだったから
「なんだよ、イエスのパクりじゃん」 なんて書いたり、直接言ったりしたが。
でも、なかには未だに"えっ、えっ、えーーーー!?"っていう方も散見されるので 再度言っておくが、
私はKENSOの音楽やライブが気に入ってくれればもちろん嬉しいが、
もし気に入ってくれなくてもそれは仕方ないと思っている。
我々は、皆さんの好みに合わせて音楽を作っているわけでも、
"今年の秋から冬にかけての恋人たちを演出する、、、"ふりをして、
自分たちの懐を暖める ために音楽をやっているのでもない。
これは4年前にアルバム『ESOPTRON』に対し、また 光田不参加の時のライブに対して寄せられた
見当はずれの数々の批判に対して既に述べてある。
「アルバムが受け入れられなかったことを素直に反省しろ」なんて、
もう大笑いの意見もあったことを 懐かしく思い出す。
なんか良識派ぶった輩が、しらっとするほどつまらない意見で、頼みもしない調停をしたり、、、
あったよね、あったよね。
「清水さんが人格批判をしたのはよくない」なんて、、、、、がははは、噴飯。
今回のアンケートには「変拍子がどうした、こうした」
「ドラムのヘッドがどうしたこうした」
「あの曲は、やっぱりレスポールでなく、シングルコイルの ピックアップで弾くべきだと思う」などという
感想がほとんどないなあと感じた。
KENSOの音楽を総体として(もちろん、音響や演出も含めて)味わってくれている印象を受けた。
『美深』や『願いかなえるこどもをつれてゆこう』で涙がでてきたという複数回答には、
その方の感受性を讃えたい。greatだ。
ロックコンサートって、演奏者とオーディエンスの感性の一騎討ち、
真剣勝負だと、ワ・タ・シ・は、思ってます。
私は、ね。
実は今回、知り合いの女性から
「小学生の娘といっしょに清水さんのコンサートに行きたいので、 チケットを2枚購入したいのですが」
と言われた時は、 おふたりでドリンク込みで11000円も 払っていただいて、
全然つまらなかったら申し訳ないな、と感じていたが、
コンサート後のお電話で
「『願いなかえる〜』の前半で、思わず泣いてしまって、
ロックコンサートで泣いてしまっていいのだろうか、
と思っていたら小森さんのドラムが 、がーーーーって始まって、涙が止まった」というエピソードと共に、
とっても楽しめたという感想をいただき、ホッとした。
また、ライブ後半、『T.BENTAR』『Foro Romano』『陰鬱な日記』の メドレーで、
興奮の極みに達したという多数の意見は、 まさに我が意を得たりである。
KENSOには、小口、光田という優れたコンポーザ−がいることを明確に示し、
私/小口/光田、それぞれの個性と良い意味でのライバル意識を交錯させることで
精神的テンションを高めるという意図があった。
そして、私の曲にしても小口、光田の曲にしても細かく入り組んだ譜割りなのに、
それを大きな波動として生理的快感にまで高めてオーディエンスに伝えられたのは、
三枝/小森という優れたリズムセクションあってのことだったのは言うまでもない。
では、具体的に質問にお答えしよう。
Q1:会場に流れていたBGMについて
開演前のBGMはSwedenのバンドVASENの「TRIO」というアルバム。
私が、宣伝文も書いてます。
「TRIO」はもうショップに並んでます。
もちろん、この作品もよいのですが、 パーカッションが在籍している作品も パワフルでいいんですよ。
来年1月21日に、日本版ベスト盤がリリース予定。
来年4月には、来日。
実は、一時、KENSOと共演の動きもあったんです、、、、よね。
終演後のはPat Methenyのソロ作「One Quiet Night」。
心に沁み入る、本当の天才の音楽だ。
キースジャレットの曲や自身の作品を演奏しているが、 とにかくそのハーモニーの センスには敬服する。
深夜、読書や原稿書きの際にBGMとしてよく選択するのであるが、
もうその素晴らしさに、意識が本やパソコンから離れてしまうほどだ。
Q2:清水さん、世良さんや御酢屁裸ーズを悪くいうのはなぜですか?
あんなに言わなくてもいいと思う。
ああ、これはね。むずかしいですね。
私としても、いい加減毒舌はやめようと思う部分もあるんです。
でも、前回のEASTのライブの程度(ゆず、とかの話題ですね)に ひやかしを入れても、
「今回は清水さんの毒舌が少なかった」っていう 意見がくるんです。
で、結論として、ファンの多くは私の毒舌を楽しみにしているのだからやる、、と。
一方で、1999年の「esoptronツアー」についてのある雑誌に掲載された コンサート評に、
「清水さんのMCは面白いが、時として演奏の興奮を さめさせることがある」と書かれてから、
そうか、タイミングを 考える必要があるな、と素直に反省した部分も反映するようにしてます。
前述のスタイリストの女性も私のMCの支持者なんですけど、
もうこれは私のスタイルだから、必要なんですね。
大勢のファンが期待しているので、できるだけ悪意のない面白い毒舌をと 考え、実は工夫しているんです。
実際に私が考えていることをそのままコンサートで話したら、、、、、
それはそれは大変なことになりますから。
で、世良さん、御酢屁裸ーズ、についてなんですが、、、
よく聞いていただければ、両者とも単なるきっかけにすぎないのです。
世良さんは、小森くんの経歴のZEP,ZAPPA,マハビシュヌ、、、といった
物凄い超人的なバンドとの対比が面白いから入れただけで、
それが"ぴんから兄弟"だってよかったんです。
私の主題としては小森くんが、そうした物凄いバンドを聞いて触発され練習を積んで
これだけのドラマーになったのだと言いたかったのです。
だいたい、世良さんについては「これが経歴に入っているのがよく分りませんが」としか 言ってませんよ。
世良さんというと「あんたにーーー」っていう歌と、
趣味の悪いアクションと、
それをコピーしていた友人たちを「だっせーーーーー!」って蔑視していた 大学生の自分と、
ヤクザ系の映画でだれだかの乳房をいらっていたことと
ZEP特集の雑誌で、つまらない文章を書いていた印象があるくらいで、
私の人生には関係ないひとなんです。
私だって、BEATLESやZEPといったバンドの他に、
「ぴちぴち天国」「私の彼は左つき」あれ? 「私の彼は左前」あれ?「私の彼は左巻き」?
なんか、わかんない、そんなのとか、
「年下の男の子」なんて曲も けっこう好きで聞いてましたから、、、そんな感じで。
「ごすぺ」の方は、たまたまライブが近づいていた日にコンビニで聞いて、
「くっだらねー、つまらねえー」と感じたのですが、
それだけ言っても 面白くないので、私のルーツであるブラックサバスの曲との対比をしてみたのです。
どのように多くの州では公共の場所での喫煙を禁止している
これも私が少年の頃どんな曲を聞いて、
リフをコピーして(FOCUSも弾いたでしょ)きたかって 事を「ごすぺ」をきっかけとして言いたかっただけで、
本質はサバスへの愛情表現だったんですねどね。
(実際、終演後、清水さんってプログレだけの人じゃなかったんですね、って喜んでくれた 方に
数名会いましたし、アンケートを見ても、好評でした)
私が狙ったのは「血まみれの安息日」は500万倍、
同じようなリフの「悪魔の呪文」は 1000何倍、
"黄金虫は金持ちだ"みたいな(今となってはダさい寸前のリフだということも 含めて)リフの
「Children of the Grave」でさえ、「ごすぺ」の5倍はかっこいい、と。
500万倍から5倍への落差、このへんだったんです。
それと「遠距離恋愛」→「血まみれ」→「墓場」っていう流れ。
更に、ロックのリフのかっこよさとは、というのもありましたね。
もっとマニアックに見てくれた方には、
「血まみれの安息日」と「悪魔の呪文」という似た部分のあるリフを 弾くのに、
私がレスポールの、どちらのピックアップを選択し、
ヴォリュ−ムのノブをどの程度絞ったか という面白さもあったと思います。
まあ、これはギタリストに限られるかもな?
残念ながら今回は友人の大谷レイブン氏は会場にいませんでしたが、
もし来ていたら 「清水さん、あれは、ちょっと違うんちゃう?」 なんて言われたかも。
レイブンはヤン・アッカ−マン、好っきやからなあ。
そういった訳で、「ごすぺ」の新大阪だろうが、川崎の風俗街の「おすぺ」だろうが、
なんだってよかったのです。
はい、次の質問。
Q3:ドリンクブースの照明、スタッフの私語、ガラス(コップ等)が当る音は、
何とかならないものでしょうか。
もしまたクラブチッタで演奏させてもらう機会があれば、スタッフに話してみます。
しかし、あそこはコンサートホールではないので、そうした"音"も仕方ないようにも思えます。
それに、お店(もちろんチッタのこと)の営業として必要なのかもしれませんよ。
あとは質問というより希望ですかな。
H1:清水さん、おしゃべりはもう少し拍手が途切れてからでもいいと思います。
お客さんは、演奏に対してそれに値するだけの拍手はしたいと思っているはずで、
お話し始まってしまうと無理に止めなきゃ聞こえないからもったいないです。
(ひょっとして時間気にされてましたか?)
なるほど、これも心がけましょう。
ただし、私は司会(mc)だけをやっているわけではないので、
あのもの凄い集中力を要する曲を演奏し終った直後に司会者のクールな頭に もどって
「あ、mcは拍手が鳴り終ってからだったな」となれないかもしれません。
それは、貴方がライブで大勢の前で熱気をもって演奏されたら 分ると思います。
それと、演奏が終ってから話に入る時間が、貴方のように"短い"と 感じる方とそうで無い方が
いらっしゃると思います。
ま、いずれにしても、プライオリティの高い問題ではありますまい。
それと、時間は気にしてません。
リハーサルで、なんども時間を測ってますので。
あとは、もろもろ、、、
1:「美深」という名前をつけたウサギがおっとりとしたかわいいウサギに
成長したという微笑ましい御報告がありました。
私もパットという犬を飼っています。もちろんPATです。
生後6年の既にオヤジ犬ですが、公園につれてゆくと可愛いギャル犬を
追いかけ回し、先日もポメラニアンのお尻に前足をかけ、、、
おっ、おっ、ちょっと待て、パット!パ〜〜ット!となりました。
2:DVDにしてもコンサートチケットにしても安く提供しようとする気持ちが伝わってきたという感想。
これはKENSOを陰で支えてくれるスタッフのおかげです。
DVDにおいては映像編集スタッフ、コンサートにおいては、
PAや照明のオペレーター、舞台監督、楽工房のスタッフ、 その他多くの方々の実に献身的な
働き、KENSOの財政事情を分ってくれている方々のおかげです。
心より感謝しています。
3:a-静かな曲なのに、隣の人が足でリズムを刻むので音楽に集中できなかった。
b-ひとつおいた隣の人がドラマーなのか、もう最後は腕ふりまわして、、、、
b-実はこれは私も経験ありますんで、コメントしにくいんです。
1998年、マグマ初来日の時、興奮のあまりドラマーと化し、前の席の人の頭、たたいてしまいましたんで。
a-静かな曲でも、その人の中ではハードなリズムが鳴り響いていたかもしれないですし、
まあ、ロックコンサートですから、仕方ないですね。
そう言えば4、5年前、ラカトシュ・アンサンブルというロマ系のバンドのコンサートに
行った時、場所が普段はクラシックを主にやっているホールだったせいかもしれませんが、
そうした所謂民族音楽系の会場のノリでなく、クラシックのコンサートみたいな雰囲気でした。
でも、その音楽は変拍子がバリバリでてくる躍動的なリズムに溢れたものでしたから、
「おっ、かっこいい」と感じた私は自然に体が動き、次第にロックコンサート的なノリに
なってました。 そしたら、横の席にいた白いYシャツの若いサラリーマン
(いかにも、"ママの味噌汁最高だよ"、新婚旅行先から母親に電話して"うん、大丈夫、
ママに教わった通りやるから。ママが御嫁入りの時に持ってきた枕絵もコンビニでカラーコピーして
持ってきたから、分らなくなったらそれをマニュアルにするよ"っていうタイプ)が、
私のことじろじろ見始めたんです。
「もしかして私のこと知っているのかな」と最初は感じていましたが、その非難するような視線が
気になりました。(そんなに動いていたわけじゃないんですよ。いくらなんでも私だって
その会場の雰囲気は読んでましたから)
そしたら、第二部が始まる直前、
「あの、動かないでもらえます?」
「えっ!?でも、これクラシックのコンサートじゃないですよね」
しばしの沈黙、そしたらそのマザコン野郎がこめかみピクピクさせながら、
「き、き、キミが動くと、ボクがノれない!」って裏返った声で言ったんです。
長くなるのでそれ以降のエピソードは省略しますが、若い頃の私だったら、
そいつがアンコールナンバー『だんご3兄弟』(なんで、こんなもんラカトシュにやらせるんだよ)に
合わせて、まるで幼稚園児のように夢中で手拍子を打っている間に 、
油性のマジックでその真っ白いシャツの脇腹に"ばーか"とか書いちゃうな。
閑話休題
さてさて、ファンに「"天鵞絨症綺譚"は本当に最高傑作だと思っていましたが、
あのライブを観てしまうと、そして新曲を聴いてしまうと、次はどんな作品を作るんだろう、
もっと凄いものを作るのではないか?と、今後の活動が楽しみです」とか
「新しいアルバムのリリースが楽しみなバンドなんてkensoくらい」と書かれるのは、
これまた有難いことだ。
次の作品がどんなモノになるのかは、私にもまったく分らないが、
新しいKENSOは既に私の中にその萌芽が生まれている。
そしてアンケートに書かれていた次のような意見は、そんな私を勇気づけてくれる。
> <4.今後のKENSOに期待したいことがありましたら、お書き下さい。
> > ans. > 常に、KENSOの赴くところに、期待しています。
> 世界中に散らばり渡り歩いたケルト民族の音楽のように、どこに行っても、
> 底辺にはその魂が共通項として息づいている…10年以上もKENSOを聴いて
> きましたが、「KENSOII」からのアルバムの変転にずっとついて来ているのは
> やはりその中に共通項として残り続けるものが好きなのだと思います。
> ギリシャの海でも、ニューイングランドの沼の中でも、KENSOはKENSOで
> 在り続けてきていると思いますので、今後も、どこに行くのか、その先を
> 期待しています。
また、「kensoを初めて聞いた時の状況について」という質問に関しても大変興味深く読ませてもらった。
佐渡島(だったかな?)のその方の住んでいた地域には、当時レコードショップというのがなく、
レコードというのは電気屋さんのお店の片隅に流行歌が少し置いてあるだけ、、、、。
(私も田舎出身なんで、よく分かります)
もちろん、メジャーとかインディーズという区別も知らず、
そんな中でキーボードマガジンの 難波弘之さんのコラムでKENSOを知り、
御本人はキーボードを弾かないのにキーボードマガジンを唯一の情報源としていた、、、
同誌の小さな記事「kenso セルフポートレイト発売」、
勇気を奮い起こして町田のレコードハウスPAMに電話して、
やっと手にしたkensoの レコード、御飯を食べるのも忘れ6時間聞き続けた、、、、、、とのこと。
うれしいです、ありがとう。
ここに紹介できないのが残念なくらい、多くの方が興味深いエピソードが書いてくださった。
本当に有難く拝読し、心に深くしまいこんだ。
多くの友人たちが指摘するように、こうした事に関する私の記憶力は異常にパワフルだ。
本人さえ忘れていた、昔のカノジョの名前やアルバイト先を覚えていたりして、密かに 恐れられていさえする。
「あああ、清水さん!それ以上、やめてっ!」
(最近、固有名詞、個人の名前が覚えられないのは、多分ボケの徴候だろうが)
皆さんからのアンケートも、きっと全て覚えている。
ライブ92の時から、アンケートはすべて保管しているし。
音楽との出会いについての思い出というのは、その時々の自分の生きていた状況と 密接に繋がっているものだ。
その音を聞くと、その時の自分や自分をとりまいていた諸々が甦ってくる。
それぞれのkensoとの出会い、とても楽しく読ませていただきました。
ありがとう!
次回は、この秋のライブ特集その3、相模原高等学校創立記念式典でのライブについてである。
「じょしこーせー」からのメールも一挙公開。
他のプログレバンドには、ありえねえーーーーーーーーーーーっ。
わけわかんないんだけど。
12月2日
●超大作:『ハレ紀ライブ2003』とは何だったのか
皆さん、お久しぶりです。
抜け殻状態から回復しつつある清水です。
今や、痴漢を交番に連行したくらいでは警視総監賞はもらえないことを痛感した次第です(前回分参照)。
クラブチッタに来てくださった方、どうもありがとうございました。
お陰さまであの日のライブはKENSO史上屈指の充実したライブとなりました。
それはあの会場にいた方の多くが感じてくれたことでしょう。
1983年7月のシルバーエレファント、、、、
1992年2月の「LIVE92」六本木ピットイン、、、、、
そしてDVD「ハレ紀」に収録された2002年6月のオンエアイースト、、、。
でも、そうした印象深いライブにも無かった特殊な空気が先日のチッタでの ライブにはあったと感じています。
それは"気"と表現するしかない性質のモノなのかもしれません。
私事ですが、実はこの日使用しようと思っていたスピーカーキャビネットが サウンドチェックの時
トラブルをおこし、本番直前はかなりナーバスになってました。 (結局、いつものスピーカーを使用)
まあ、本番直前は常に自分自身のテンションを上げ精神集中させるためナーバスにはなるのですが、
特にこの日はそうでした。
でも、ひとたび演奏が始まると、、、、、、なんかとても良い感じでした。
アンコールが終って楽屋へ引き上げる通路で、
光田が「いや、なんか凄かったですね。」 と言っていたのが印象に残っているし、
11月中旬に小口に電話した時も、
「このライブほど、終った後の脱力感が長く続いたことはない。でも、それは心地よい疲れ。
また、ライブ終った直後って、私は割といつも"あああ、あそこ間違えてしまった"とか考えて
しまうほうなんですが、今回はもちろん間違えはあったのですが、
なんかそういうことよりも すごく楽しかったし、いいライブだったんだなって思います。」と話していた。
随分前に、私の自宅で大谷レイブン氏からもらったマクラフリンとパコのDUOのライブ映像を 見ていた時、
小口が「いいですねええ、なんか二人しか分からないところまで行っているんでしょうね。 羨ましいなあ。」
「そうだね、二人とも楽しそう。きっと常人には分からない境地なんだろうね。」 なんて会話があったこと。
また、パットメセニーのライブを見るたびにいつも感じる"音楽の歓喜"ということ。
先日の小口との電話では、
「もしかしたら、この前のチッタでのkensoは、この領域へほんの少しだけ 手がかかったっていうか、
足を踏み入れることができたのかもね」という話もした。
こんなことを書くと、オーディエンスのM●君(後で触れます)から
「パコ・デ・ルシアにでも なったつもり?」
などと言われてしまうかもしれないが、 M●君、早合点しないでね。
パコやマクラフリンになったつもりだなんて、思ってもいないですからね。
ただ、そういう感触があったということ。
それだけ、特殊な雰囲気に溢れたライブだったということだ。
難波弘之さんが「メンバーが、特に清水君が楽しそうだった」とおっしゃって いましたが、
ホントそう、もう楽しい楽しい、、、、、、そして解放された感覚が強烈にあった。
「プログレッシブロックの哲学」(平凡社刊)の著者で慶應大学文学部教授の巽先生にも
楽しんでいただけたようで、よかった、よかった。
先生!今度、YESのブートビデオ見せてください、ははは。
また、このライブほど、後から後から
「ねえ、清水さん、お願いがあるんだけど、、、 チッタでのライブのビデオ、
内緒でダビングしてほしいんだけど、、、」と友人に 言われたことはないです。
KENSOのライブをずっと見続けている複数の友人に「ベストライブなんじゃない?」とも言われた。
とは言え、この日のライブについての細かい分析は今はまだ無理だなあ、時間的にも心理的にも。
ただ、8月31日の小森氏を入れた初めてのリハーサル終了後、既に 何かがおこりそうな予感があったから、
光田と「ちゃんと録音しておこうか」と話し、 ライヴレコーディングもしておいて良かったと思う。
更に、 もちろん『ハレ紀』収録時ほどではないが、ある程度編集素材となる映像もとることにしてよかった。
小森氏は、8月、9月はそれどころじゃなかっただろうが、
物凄いタイトなスケジュールの中、本当によくやってくれたと思う、感謝です!
愛染感謝状(嬢)、元気ですか?
それと、オーディエンスの皆さんのアンケートも有難う!
いつものことながら、 ホントに驚くほど沢山の数集まった。
みなさんの気持ちが伝わってきて本当に嬉しかった。
特に、小森くんの素晴らしいドラミングについての感想がかなりあり、
ライブ後の打ち上げで、小森くんはアンケートに目を通しながら
「うれしいなあ」
「よかったア!すげえ大変だったけど」と喜んでいた。
オーディエンスの皆さんが彼の労をねぎらってくれたことに対して、私からも御礼を言いたい。
アンケート(ライブ終了後2週間たってもまだファクスやメールが 楽工房さんのオフィスに届いているそうだ) には、
ちゃんと通し番号をつけて、一枚も逃さず、メンバーおよびスタッフは拝見しています。
あとから送られてきたものは、私がコピーしてメンバーにわたすようにしています。
尊敬するPat Methenyやジョニ・ミッチェルも言っていたこと、
「我々の音楽を気に言ってくれれば嬉しいが、気にいらなかったとしてもそれは仕方ないと思う。
他人がどう思うかより、自分がどんな演奏ができたかが大切なのだ」という 姿勢に大いに共感するが、
やはり皆さんからの熱い反応は嬉しい。
これからもKENSOを愛してくださることを心から祈っている。
では次に、問い合わせの多かった、今回初演の新曲について簡単に触れておこう。
________今回のライブで演奏された新曲について_____________
私がライブの冒頭でローランドVG-88を使って 弾いた曲は「痛ましき晦冥」。
オーディエンスのひとりが「清水さん、この路線は 難しいですよ」などと
"ありがてえ"忠告(後述)をしてくれたが、
私の頭にあるアイディアはメンバーにすらまだちょこっとしか伝えてないのだがねえ、、、
どうして貴方に私が"どういう路線"で行くか分かるのかなあ。
「痛ましき晦冥」に続き清水/川島/小森のトリオで演奏したのは「暁に楽師が」である。
スタジオで初めて3人で演奏した時、思わず「これ、いいねーー!」と握手してしまった。
私は、自由にやって欲しいと言っただけだったけど、
ナイスなアプローチだと思うよ、小森くんのドラミング。
そして川島さんのカンテ、演奏中、ぞくぞくした。
「暁に楽師が」はコンサートの後半にバンドと川島さんでも演奏した。
相模原高校ではアンコールで ちょっとしたロックなアジテーションをかまし、
パンクロック的な破壊力とともに、 携帯で我々を撮影しまくる女子高生に愛嬌をふりまいて演奏した。
いやあ、みせたかったなあ、皆にも。
ね、光田くん!ファンふえたよね。
「Vサインする光田さん、かわいい」ってメールもらってね。
俺、すなわち清水も親指立てたんだけど、、、笑ってたわ、最前列の女子高生。
本編中間部で私ひとりステージに残ってやはり「この路線は難しい」らしいVG-88で演奏したのは
「シヅカへの扉」である。
それに引き続き小口/小森によって演奏された曲は、 今のところ曲名はなく、
私は「小口/小森インターリュード」と呼んでいた。
さてさて、私は現在コンサートの残務整理やら清水歯科医院の仕事に追いまくられているため、 あまり時間がない。
よって、後はライブにいらしてくれた方からいただいたメールなどを紹介 し、
『ハレ紀ライブ2003』とは何だったのかについての考察資料としていただこうかと考えている。
まずはユーロロックプレス誌(11月28日発売号)にレビューを書いてくださる予定の
音楽評論家内田さんからのメールです。
送信日時 : 2003年 11月 2日 日曜日 11:17 PM
件名 : 最高の気分です!!!
清水さん ライヴ最高でした。帰っても興奮しっぱなしです。
所用のため10:00までには戻 らなければならなかったのでご挨拶できず失礼いたしました。
小森氏のドラム、 パワフルで村石氏とはまた異なるエネルギーがあって、素晴らしかったです。
あ と、川島さんのヴォーカルも!!
曲は作り込まれているのに、ステージ上では何 か獲物に立ち向かう野獣のような猛々しさすら感じます。
海外に行ってもこうい う「ロック」バンドにはなかなか出会えません。
今回もDVDとは言いませんが、 何かの形で残ったらいいなと、本当にそう望みたい気持ちでいっぱいです。
今夜は最高の気分で眠れそうです。
内田哲雄
次にファンの方で、この日のライブレポートを細かく書いてくださったかたのサイトを お知らせしておきます。
> http://homepage3.nifty.com/YOMO-NO-MI/sakusaku/5_1.htm
一部内容を転記しますと、、、
不思議な現象に気づく。ライブが進むにつれてステージ奥の壁が見えなくなってくる。
演奏しているみなさんの向こうに無限の空間が広がっている。
そして幻視。
音のない広大な雪原、或いは凄烈なブリザード。
よく大掛かりなコンサートでステージバックに画像を流すことがあるが、KENSOのライブにそれは必要ない。
KENSOの音楽が個々の心象風景を喚起する。
この方はアンケートにも書いてくださったのですが、
「演奏中にメンバーの向こうに、、、、kensoの音楽が個々の心象風景を喚起する」 と感じてくださったこと、
とても嬉しかったです。
というのは、私が心から尊敬しているPat Metheny Groupの昨年9月の ライブにおいて、
私はメンバーの存在が目の前から無くなり、
上手く言えませんが「宇宙」とか「生命」とかが感じられたのです。
P.M.G.には勿論遠く及ばない我々ですが、 こういうふうに感じてくれたことは大きな喜びで演奏者冥利につきます。
次に、ガムラン演奏家(バリ島の著名楽団複数に在籍。私と小口は、バリ島へ行く前に、
よく南部さんのHPで様々な情報を仕入れていたが、これまで面識はなかった。
だから今年の春、南部さんから突然のメールをいただいた時は大変に驚いた) にして
ロックギタリストの南部さんからのメールを紹介する。
「南部です。昨日は素晴らしい演奏をありがとうございました。
また、せっかく打ち上げにお邪魔させてて頂いたのに中座して しまって失礼いたしました。
久しぶりに生演奏を聞いて鳥肌が立ちました。
もしかしたら10 年前にスマララティ(清水註:バリの有名楽団、私も小口も初めて見た時、
もう戦慄さえ覚えたくらいすごい楽団だ)を見たとき以来かもしれません。
いくつか昨日の感想を述べさせていただきたく思います。
打ち上げの席上、
「ドラミングの狂熱とギターのストイックさ が鮮やかな対比をなしていて興味深かった」と申し上げました が、
今考え直してみれば決してそんなことはありませんでした ね。
ギターも実に色気のある音を出していました。
多分、清水 さまが繰り出してくるフレーズが実に制御された無駄のない核 心をついたものだったから、
私は「ストイック」と思ったので しょう。
打ち上げの席上でも、ご紹介いただいたギターテクニシャン の方と、
「本来、ギターという楽器はその発音原理を考え れば打楽器なのであって、
ピッキングの音が感じられなければ 魅力は半減する。
その点、清水さんのギターは実にロックで、
譜面に起こせないようなピッキングの微妙な雑音成分までもが 実にエロい」などというような話をしておりました。
「ドラマーが馴染んでいないのではないか」というような話が 打ち上げの席上出ていたようですが
(清水註:私は記憶にないのだが、 アンケートの内容についてか?)、
初めて拝見した私からすればさほど違和感は感じませんでした。
失礼を承知の上であえて言わせていただければ、もうちょっと 抑えても充分舞台は成立するような気もしましたが、
週何回も ライブをこなし、全国をロードしながら完成度を向上させてい くような環境にあるバンドならいざ知らず、
日常的に活動して いるバンドではない場合は一回のステージをいわば「作品」と して考え、
その時点での完成度を追求することは重要で、静態 としての最良の結果を出すようにしなければいけない。
そうい った意味において結果が出ておりましたし、
彼のドラミングに 他のメンバーが触発されてどんどんと集中力が増し、
結果とし てあれほどの音場空間が出来上がったのは実に見事としかいい ようがありません。
そしてなによりも実に圧巻なドラミングで あり、痛快そのものでした。
特にボーカルとの相性は抜群だっ たと思います。
外に向けて力を発散させていくタイプのボーカ ルには彼のドラミングは最高ですね。
小口さまのガムラン風の間奏曲も全く自然ですんなり入ってき ました。
もし、ガムランのフレーズをサンプリングしてそのま ま流し、
インチキヒーリングミュージックを展開するなら何か 言ってやろう、と思っていたのですが、(笑)
全くの杞憂でし たね。
きっちりと消化されていて、実に見事でした。何回か「 おっ!?」と思いました。
特に小口さまが素晴らしいのは、
通常、ガムランにインスパイ アされる方々の多くがメタルパーカッションという切り口でし か
ガムランを見ていないのに対し、小口さまはその奥にあるメ ロディーまで理解されている、という点ですね。
チャンディ・ ブンタールのメロディーはそれこそうっとりするようなもので 、
ルー・ハリソンと比較されても決してひけをとらない、と思 いました。
(清水註:ルー・ハリソン! これは、すごい高い評価ですよ、小口くん!)
そして何よりもメンバー全員が演奏を楽しんでいる雰囲 気が伝わってきて、見ていて非常に爽快でした。
まだまだ感想があるのですが、とまらなくなりそうなのでこの 辺で。」
南部さん、ありがとうございました。
打ち上げ会場ではリーダーという立場上、私はあちこちの席を飛び回っていて、
あまり話ができませんでしたが、 ガムランについて、いずれ色々と教えてください。
では、次に三枝と川島桂子さんからのメールを紹介しよう。
まずは三枝から。
________________________________
件名 : お疲れ様でした
皆様、三枝です。 お疲れ様でした。
ライブが終わってからの三日間、完全に脱力しておりました。
今回のライブがあまりにもすごいエネルギーを持っていたからだと思います。
今までと明らかに違う「気」が満ちていました。
このバンドにいることに誇りを感じます。
明日の飛行機でまたボストンに戻ります。
勉強に行くというより、このエネルギーを伝えに行くような気分です。
ケンソーという生命体の一細胞としての可能性を、もっともっと広げて帰ってきます。
次回がまた楽しみです。
よろしくお願いいたします。
-- _次に川島さんからです。来年一年間スペインに留学されます。___________
送信日時 : 2003年 11月 3日 月曜日 3:59 AM
件名 : ありがとうございました
今日は呼ばれもしないのに2次会にまで参加させていただき、
(清水註:呼んでましたよ、 2次会、呼ばないはずないじゃないですか、俺、否、オーレ!)
言いたいことを言ってしまい、すみません。
このところ、ソロ活動のせいもあって、頭も体も純粋フラメンコ路線を向いていながら、
KENSOライブに関しては、特別な感情(愛着というべきか?)を持っていた自分を、
我ながら不思議に思っていましたが、本番をやってみて、
「あったりまえじゃん、生半可なことじゃ参加できねぇよ」ということを改めて思い知らされた川島です。
KENSOのライブはほんとに不思議です。
今日、後半舞台のソデにいて感じた圧力は、技術や頭脳が卓越した音楽、ということを全く越えた、
人の根源的なエネルギーだったと思います。
前回もそうでしたが、そんな空間を共有させてもらえることが、恐ろしくも嬉しかったです。
「空に光る」は、本当に印象的でした。
先程の話題でも言いましたが、全く過去をなぞるのではなく、
現在形の、新鮮な喜びが、素晴らしかったです
(そういう意味では、KENSOのライブは私にとって、半端なフラメンコ以上に刺激的なフラメンコです)。
前回は、「もう一回Good days Bad days を歌いたいなぁ」と思いましたが、
今日はオープニングが終わったとたんに
「すまん! 暁に楽師が は、もっかいやらしてくれぃ」と 思ってしまいました。
スペイン行きを目前にして、KENSOのライブに参加できたことは、
他人が多分全く解らないであろう、私だけの、大きな意味のある喜びです。
また、機会があったら声をかけてください。
ありがとうございました。
ライブの間、どんどん子供のような顔になっていく清水さんやメンバーの方がたがとても素敵でした。
川島桂子 送信日時 : 2003年 11月 4日 火曜日 1:35 AM
件名 : Re>セブンシーズの新●さん
いろいろメールをありがとうございました。 今朝はさすがに声がボロボロで、
日中あったミニライブの時は「川島さん、風邪ですね」と言われてしまいましたが、
夜は、気の合った人達との舞台で、いつもより開放感と熱を持って出演者全員が楽しむことができました。
私の中にまだ昨日の熱が鮮明に残っていたので、声の調子がイマイチでも、波に乗れた気がしました。
清水さんは大仕事が終わって、脱力状態でしょうか・・残務整理でそれどころではないとか。
私の歌を喜んでくださるKENSOファンがいらっしゃるのは、ほんとにうれしいことです。
普段のライブを見てみたいと言ってくださる方までいらしたのは、驚きです。
渡西までに、まだ変わったタイプの舞台もいくつかありますが・・
昨日お話させていただいてつくづく感じたのが、清水さん、そして他のメンバーの方がたが、
私の歌をものすごく大事にしてくださっているということで、
それはある種、真剣勝負の空気を孕んでいて、
私は「全くカッコつけてるスキなんかないぞ」と、改めて思わされました。
歌が歌として切実に存在すること、人が人として生々しく存在すること・・
カンテの大命題を、KENSOは違う形で私にはっきり示してくれていると思うのです。
どうか清水さん、闘い続けてください !
私はこんなふうにKENSOのウズに巻き込まれ、揉まれながら、
いろんな光をかいま見せられる瞬間が、危険なくらい好きになってきてしまいました。
私の歌が、KENSOの中で、何かしらの火花になれるかもしれないというのは、
ものすごく刺激的で、幸せなことです!
川島桂子
送信日時 : 2003年 11月 8日 土曜日 2:47 AM
件名 : つづき
新●さんにも話しましたが、KENSOというのはつくづく不思議なバンドです。
特にライブの熱や圧力というのがただ事ではなくて、
「よかったなぁ」という、なにやら形容しがたい感慨が、
終わってから日を追うごとに強く体の中に戻ってくる感じです。
去年たしか「日にちがたってもライブの時のことが通奏低音のように残っている」と書いたと思いますが、
2回目だった今年も、それは同じです。
良いもの、強いもの、嘘がないもののライブは、必ず私にそういう残り方をしてくれて、
牛のように時間をかけて楽しむことができてうれしいで す。
川島桂子
_________________________________
次に、2003年秋の正式メンバー、小森氏のHpを 紹介しよう。
彼の感じた「ハレ紀ライブ」の感想が生々しく書いてある。
ぜひ、彼のHPに行って読んで感じて欲しい。
小森くん!こんなにもkensoに力を与えてくれて、心から感謝している。
っつうか、最高だよ、こもちゃんのドラム!
私の中にある1968-76 rock spirit が メラメラと燃えたぜ!
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最後に旧友(昔は喧嘩したり、一緒にライブ見に行ったりしたね)のキーボーディスト&作編曲家、
最近はプリズムのアルバムにも参加している石黒彰氏のHPから引用させてもらった。
全文は彼のHPへどうぞ。
"で、そこで見た『KENSO』は僕にとっては懐かしい80年代初頭の山本はるきち氏在籍時の
いわゆるオールド『KENSO』にも通じる、
テクニカルでありながらもヒューマンな温かさを持つ新しい『KENSO』だった。
この変化はまぎれもなく、今回のこの助っ人ドラマーによってもたらされたものだ。
全くの私見だが、彼(小森)の特殊性はテクニカルでありながらも音符が長く、
なおかつその重心が低いという所にあると思う。
通常、ドラマーはテクニカルになればなるほど音符は短くなり、
骨太な「ロック」な感じとはだんだん遠くなっていく。
エッジはきつくなり、シャープにはなれどファットではなくなる。
従って『KENSO』ような演奏者に高度な演奏技術を要求する"ロックバンド"に彼は正にうってつけだ。
また、今回清水さんは『川島桂子』さんというもの凄い才能も紹介してくれた。
普段はフラメンコの世界で活躍している方だそうだが、
『KENSO』の音楽に何の違和感もなく溶け込んでいた。
歌唱力も半端じゃない。
歌い出した瞬間からぐぐっと持って行かれる感じだ。
こういう逸材とコラボレートする所が、まったく目の付け所が違うというか何というか...
同好の志が集まって作った「プログレ・バンド」には到底思いつかない発想だろう、、、後略。"
ありがとう、石黒くん。
21年前『KENSO SECOND』のレコーディング中に、
わざわざ横須賀の神奈川歯科大の軽音楽部部室まで来て、
当時クリックを使うことをしてなかったためにずれてしまった箇所を聞くや否や、
にやっと私の方を見て
「清水さん、ずれてるね」と指摘したことも帳消しにしようかな。
といった具合に、演奏者、友人のプロミュージシャンや音楽ライターが、
今回のライブを 意義深いものとして評価してくれた。
今までのベストライブであったと言ってくれた人もいた。
オーディエンスからの反応も熱く、コンサートを楽しんでくれたようで、本当によかったと思っている。
でも、アンケートの中にはオーディエンスのひとり、M●くんのような意見もあったので紹介しておこう。
『(偉そうに聞こえるかもしれませんが)全般的には満足致しました。
小森氏のドラムも村石氏に負けずサイモン・フィリップスばりに凄かったです。
しかし残念ながらLIVEでは村石氏ほど皆さんとの呼吸が合っていない場面もあったように思えます。
私もバンドをやっていますが、一緒にやった経験が長ければ長いほど、
ミスがあったときの相互の カバーしあえると思います。
清水様、今回よりVG導入したようですが、あの路線は大変ですよ。
パコ・デ・ルシアやる気ですか?
ソロの際も手が縮んでいたようですね。
小口様、本日は決めるところ(ソロ)は非常に良かったですが、
テーマ等でのミスタッチが 多かったように思えます。
またトリトン(清水註:原文ママ)の音色トラブルも有りましたね!
オンエアーLIVE時とは キーボードの配置が異なることや
V-Syntheの導入等も上記の原因となったのではないでしょうか。 後略』
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