スペインの自治州 - 大都市の歩き方 - Yahoo!ブログ
UFJ銀行と東京三菱銀行が合併しますね。
合併合併と、日本社会では銀行やら市やらがやたらとくっついています。
ほんと銀行なんて、元何銀行やっけ??って状態です。
経済とはまた別なので比べられないですが、世界的にはくっつか離れるか言うたら"離れる"のが最近の世界の動きです。
いろんな国について興味を持って、調べていると絶対にぶち当たるのが民族・民俗の境界線。
分離していってる国は、歴史的・地理的要素で境界を与えられていた国が多く、本来の民族・民俗の境界線に回帰しようとしてるように思える。
しかし一言に"独立"と言っても、「ハイ今日から別の国です。」て訳にはいかないのが当然の実情。
分離する時もたいがいもうそれぞれが固まってて、一つになってるのが不自然、無理となって解体しますよね。
ソ連やユーゴみたいに。
その固まりってのがいわゆる自治州です。
自治州とは、、、
少数民族や先住民などの住民に対して自治が認められた州を指す。ただし行政システムや自治の度合いは自治州を設定している国によって区々である。一般に少数民族に対して一定の権利を与えるために設定されることが多い。
自治州が設定されている(いた)国アゼルバイジャン 、スペイン、セルビア・モンテネグロ、ユーゴスラビア、ロシア、中国、イタリア
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スペインの自治州
ロンドンにいる時、スペインって公用語が4つある(スペイン語、カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語)って聞いてました。
地域はさらに細かく分けて17の自治州から構成されるらしい。
.▲鵐瀬襯轡⊇は スペイン南部に位置し、北にエストゥレマドゥーラとカスティーリャ・ラ・マンチャ、東にムルシア、西にポルトガル、南には地中海がある。州都は、セビリャ。フラメンコ音楽発祥の地である。
有名な史跡には、グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのモスク、セビリアのトッレ・デル・オロ(黄金の塔)やヒラルダの塔などがある。考古学上のメディナ・アサーラ遺跡もセビリアの近くにある。
<アンダルシアを構成する8県>
セビリャ、グラナダ、コルドバ、カディス、マラガ県、ウェルバ、ハエン県、アルメリア
▲▲好肇ゥ螢▲には、キリスト教国スペインの名残りが見て取れる。それは英国王室の王位継承者のみが、コーンウォール公およびロスシー公となれるのと同じように、スペイン王室の王位継承者は、自動的にアストゥリアス公の称号が与えられている。
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カタルーニャ州は、スペイン北東部の地域。州都はバルセロナ。
<カタルーニャを構成する4県>
バルセロナ、リェイダ、タラゴナ、ジローナ
歴史的にスペイン中部のカスティーリャ地方とは異なる文化を擁したが、18世紀初頭にマドリッドの王室によって支配される。19世紀後半以降工業などの発達で栄え、それに伴い文化芸術活動も盛んになる。ガウディはまさにこの時代の人間である。
1936年、バルセロナで人民オリンピックが開催されようとする数日前にスペイン内戦が勃発、フランコ将軍率いる反乱軍が3年かかってスペイン共和国政府を倒した。これ以降スペイン全土でスペイン語のみが公用語とされ、カタルーニャ独自のことばであるカタルーニャ語は使用が大幅に制限されたがその後、自治政府による積極的な言語政策を通じて、カタルーニャ語は短期間に再び社会の幅広い層で使われるようになった。一応スペインの一部であるため地元民はスペイン語を解し、また会話。
ぅリシアは、スペイン北西の自治州のひとつである。主要都市はサンティアゴ・デ・コンポステラ。
歴史的にガリシアはローマ帝国のガラエキアの一部だった。これは現在のスペイン西部とポルトガル北部を含む。公用語はガリシア語とスペイン語である。ケルト人のラテン語読みのガリアから来ているものとされている。民族としてのケルト人は消滅しているが、ラテン語化したガリシア語によってその名残を止めている。5世紀から6世紀にかけては、スエビ王国の中心地であったが、西ゴート王国に滅ぼされた。
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ゥ淵丱藹は、ナヴァール県のみを含む。バスク、ラ・リオハ、アラゴン、フランス(アキテーヌ)と接している。
人口は、569,628人(2002年)で、1/3が州都のパンプローナ(バスク語:Iruña)に住んでいる。 ナバラ県には、272の市町村(地方自治体)がある。
<歴史>
かつてナバラ王国がピレネー山脈を挟んでこの一帯を統治していたが、16世紀に入り、この山脈を境としてフランスとスペインに分かれた。フランス側に分かれた地方をバッセ・ナヴァールと呼び、現在のフランスのピレネー=アトランティック県になっている。
ナバラ王国はもともとパンプローナと呼ばれ、824年頃にイニゴ=アリスタがフランク王国に反乱を起こして建国した。 ナバラ王国の最後の王であるアンリ3世(エンリケ3世)(在位1572年 - 1610年)は、1589年アンリ4世としてフランスの王になったが、 1791年まで別々の王国として存続した。
ゥ丱好国自治州に限らず、バスク人の住んでいる地域全体を指してバスク国と呼ばれることもある。その場合には、ナバーラ州の一部やフランスのピレネー=アトランティック県が含まれる。
バスク国は歴史的には7つの地域に分けられ、バスク人のスローガン Zazpiak Bat (7つが集まって1つとなる)の由来ともなっている。4つの地域は南部に、3つの地域は北部に分類される。
南部 - アラバ、ギプスコア、ナバーラ、ビスカヤ
北部 - バッセ=ナバーラ、ラボールド、ソウレ
バスク人は、現在のヨーロッパでは唯一、系統不明の言語を使用する人々である。彼らの言語がどこから来たのかについては、さまざまな憶測がなされているが、どれも決定的なものではない。一番ありえそうな推測は、このイベリア半島にかつて住んでいたとされるイベリア人(イベリア語)の末裔が、かれらなのではないかということである。 スペインの北東からフランス南東部にかけて、彼らは文化的にも政治的にもかなり孤立した文化、言語、政治的自治を有している。より広い自治、独立を目指す運動がある。
バスク語は、スペインとフランスにまたがるピレネー山脈西部のバスク地方に住むバスク人によって話されている言語の名称である。話者人口は両国併せて50万から100万人程度。
<言語学上の位置付け>
周りをラテン語に起源を持つロマンス語の言語に囲まれているにもかかわらず、バスク語はスペイン語やフランス語はおろか、世界のどの言語とも異なる、極めて独特な言語である。そのため、インド・ヨーロッパ語族言語を話す民族がヨーロッパに入ってくる以前から話されていた言語であると考えられている。比較言語学上、孤立した言語に分類される。
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