ムンバイ - Wikipedia
ムンバイ(英: Mumbai、マラーティー語:मुंबई)はインドの西海岸に面するマハーラーシュトラ州の州都である。インド最大の都市であり、南アジアを代表する世界都市の一つである。
市域人口は1,248万と世界でも有数[1]。2011年の近郊を含む都市圏人口は2,129万人であり、世界第6位である[2]。2008年のムンバイの域内GDPは2090億ドルで、世界第29位である[3]。2012年には、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第45位の都市と評価されており、インドでは首都ニューデリーを凌ぎ第1位であった[4]。天然の良港に恵まれていることもあり、国全体の海上貨物の半数以上を担う港湾都市でもある。
ムンバイは国内随一の商業及び娯楽の中心都市であり、国全体のGDPのうち5%、工業製品の25%、海運の40%、資本取引の70%を計上する。国際金融フローにおいては、アジア有数の金融センターとして、インド準備銀行、ボンベイ証券取引所、インド国立証券取引所といった金融機関や、多くのインド企業の本社、多国籍企業の拠点が置かれる。ビジネス機会が豊富なムンバイには、事業機会や比較的高い生活水準を求め国内各地から多くの人が集まり、様々な宗教・文化の集積地ともなっている。
1995年に英語での公式名称がボンベイ (Bombay) から、現地語(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更された。なお原語では「イ」が長母音のため「ムンバイー」の表記がより正確とも言えるが、日本国内での表記は「ムンバイ」が大半であり、慣用という意味も含めて当記事内でも後者に統一する。
詳細は「:en:Geography of Mumbai」を参照
ムンバイは、インド西海岸のアラビア海に注ぎ込むウルハース川の河口付近サーシュティー島にある。南部の半島上に位置するムンバイ市街の大部分は海面程度の低地にあるが、北部の郊外地区を含めた市全体の平均海抜は10〜15mである。郊外には丘があり、最高地は海抜450m。市域面積は603平方キロ。
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気候は熱帯に属するため、主に雨季と乾季に区分される。雨季はおおよそ3月から10月までで、湿度が高く、気温は30 °Cを超える。6月から9月の間はモンスーンによる雨が降り、年間2200mmの降雨量はこの時期にほとんどを降る。乾季はおおよそ11月から2月で、湿度もややあり温暖な気候である。1月と2月はやや冷たい北風が吹く。平均最高気温は38 °C、平均最低気温は11 °Cと幅がある。
詳細は「History of Mumbai」を参照
ムンバイの都市としての歴史は、1534年にポルトガルがグジャラートの土侯からこの地域を譲り受けたことに始まる。ポルトガル人はこの地に、ゴアの補助港としての城塞都市を築き、ここを「ボンベイ」と呼んだ。この名はポルトガル語のボン・バイア(良港)に由来するといわれるが、それ以前からこの地の呼称として使用されていた「ムンバイ」という名は、当時漁民の信仰をあつめていたシヴァ神妃パールヴァティーの異名、ムンバによるとの説がある。
1661年、ポルトガルのカタリナ王女がイギリスのチャールズ2世と結婚する際、ボンベイは持参金としてイギリス側に委譲された。その植民地時代にはボンベイ管区の中枢として、城塞の中に公会堂・税関などさまざまなイギリス風の施設が建設された。1668年、英国王家はこれを10ポンドでイギリス東インド会社に貸し付け、対岸に良港があったことから1687年にはインドにおける拠点となり、島の間の埋め立てが進められて市街地として発展した。
1850年代の鉄道と綿紡績工場の建設は、この地の産業を大きく発展させた。とくに1861年 - 1865年のアメリカ南北戦争では、アメリカからイギリスへの綿花輸出が停止したことから、ボンベイの綿織物業は飛躍的に拡大する。1869年のスエズ運河開通は、ボンベイ港の重要性をさらに高めた。
20世紀、二度の世界大戦を通じてボンベイはコルカタ(カルカッタ)を抜く商工業都市となり、1947年のインド独立後もボンベイ州の州都として発展を続けた。インド独立に際しては、ティラクやマハトマ・ガンディーらの民族運動の拠点ともなった。しかし1960年に言語の違いから、州の北がグジャラート州、南がマハーラーシュトラ州に分割された。この時、ボンベイは後者の州都となった。1995年には、英語での公式名称がボンベイから現地語(マラーティー語)での名称に基づく「ムンバイ」へ変更された。
現在もムンバイは、西インドのみならず国全体の産業や文化の一大中心地として機能している。2008年11月26日、ムンバイ同時多発テロが起こり多数の死傷者が出た。
あなたは、市内に行くされている場合
詳細は「Economy of Mumbai」を参照
インドの最大都市ムンバイは、国内経済の中心都市として重要拠点となっている。2011年3月、英国のシンクタンクにより、世界第58位の金融センターと評価されている[5]。
ムンバイは、国全体の全工場雇用者数の40%、全所得税収入の40%、関税収入の60%を計上する。中心市街地には、インド準備銀行、ボンベイ証券取引所、インド国立証券取引所、インド造幣局といった国内の金融機関を初め、タタ・グループ (Tata Group)、ゴドレージ・グループ (Godrej Group)、リライアンス (Reliance) など多くのインド企業の本社、国外の金融機関、多国籍企業の拠点が置かれてる。また、ムンバイはマハーラーシュトラ州の州都であり、連邦政府と州政府の職員数も多い。
現在では金融都市となったムンバイも、1980年代までは繊維工業および港湾貿易に大きく依存していた。しかしその後、地域経済の基盤は工業、ダイヤモンド加工業、ヘルスケア、IT産業といった分野へと大きく裾野を広げて現在に至った。
娯楽産業もムンバイの重要な産業の一つである。ほとんどの国内主要テレビ局や衛星ネット局、出版社はムンバイに本社を置いている。インド映画業界のうち、国内最大のヒンディー語娯楽映画産業の中心地でもあり、ハリウッドをもじって「ボリウッド」として現在世界的に知られる。マラーティー語のテレビ映画産業も、ここムンバイにある。
[編集] 人口問題
1991年から2001年までの10年間で、マハーラーシュトラ州域外からムンバイへと移住してきた人々の数は112万人におよぶ。この経済成長に伴う急激な人口増加に伴い、他の著しい経済成長を見せている発展途上国の都市と同様、ムンバイは貧困、失業、医療、生活水準、教育水準などの面で広範囲に及ぶ問題を抱えている。居住地の不足も深刻で、住民は住環境が悪いにも関わらず高価な住宅に住まざるをえない状況にある。さらにこの人口増加にインフラ整備が追いついていないため、住民は異常に混雑した鉄道や道路での長時間の通勤を強いられている。交通環境は、極めて悪く、日本領事館では、自身で自動車を運転しないよう呼びかけている[6]。鉄道でも2008年のムンバイの郊外路線で1日平均17人が死亡しているが、多くは線路を歩いていてはねられるケースとされている[7]。
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2001年のインドの国勢調査によれば、ムンバイの人口の約54%はスラムに居住している。ムンバイ中心部のダーラーヴィー地区 (en:Dharavi) は、アジア第2の規模を持つスラム街であり、100万人以上の住民がここに暮らしている。
ムンバイ市内の主な観光地は下記の通り。
詳細は「Public transport in Mumbai」を参照
ムンバイの公共交通機関には、ムンバイ近郊鉄道、BESTバス、タクシー、オート・リクシャー、フェリー、航空機がある。さらに近年の急速な経済成長に伴い、現在地下鉄やモノレールも建設中である。
ムンバイ近郊鉄道は、セントラル鉄道 (CR) およびウェスタン鉄道 (WR) の二つの鉄道網をムンバイに敷いている。セントラル鉄道はチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅を本部にしており、カバーエリアは市内中央部、北東部、東南部、近郊地域である。ウェスタン鉄道はチャーチゲート駅を本部とし、市内西部を中心に近郊地域もカバーしている。現在建設中の地下鉄ムンバイ・メトロは、2009年に一部先行して開通する。長距離鉄道では、インド国鉄がムンバイと国内各都市を結んでいる。
BEST(ブリハンムンバイ電力交通公社)は市バスを運行しており、市内の大部分をカバーする。2階建てバスやエアコンバスを運行しており、市民は短中距離通勤にバスを利用する。なぜならば、鉄道が長距離通勤の際に運賃を抑えられるのに対し、短中距離通勤の際にはバスの方が交通費を抑えられるためである。また、タクシー(黒と黄色のツートンに塗り分けられた車体)とオート・リクシャーも市民の足となっている。
チャットラパティー・シヴァージー国際空港は市内から34kmのところにある空の玄関口であり、南アジアで最も乗降客数の多い空港である。ムンバイはインド全体の旅客空輸のうち、国内便は25%、国際便では38%を担っている。
詳細は「Mumbai culture」を参照
ムンバイはインドにおける国内各地の様々な集団や宗教・文化の集積地となっている。映画やテレビなどメディア産業における国内有数の拠点ともなっており、特に北インドを中心に国内各地で上映されているヒンディー語による娯楽映画はこの街にある巨大な撮影所(通称フィルム・シティー)で多く制作されているため、街の旧名「ボンベイ」とハリウッドをもじった「ボリウッド」という映画の街としても知られている。
ペルシアやアラビアに由来するムンバイのユダヤ人は、長い共存の歴史を持っており、迫害されたことはない。[要出典]
- 血液型(ABO型分類)で、O型の亜種としてボンベイ型という型が存在する。これはムンバイで最初に発見された事に由来する。
- ボンベイ・サファイアというジンは、英国統治下のインドでジンが薬として飲まれていたことからの連想で、名付けられたとされている。
[編集] 姉妹都市
[編集] ギャラリー
[編集] 関連項目
- ^ Cities having population 1 lakh and above, Census 2011
- ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
- ^ プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP
- ^ 2012 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2012年4月公表)
- ^ The Global Financial Centres Index 9
- ^ 安全の手引き(在ムンバイ日本国総領事館2009年4月)2010年12月10日閲覧
- ^ 席めぐり口論、5歳児を列車から投げ出す(AFP.BB.News.2010年12月08日20:46)2010年12月10日閲覧
[編集] 外部リンク
公式
日本政府
観光
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