2012年2月7日火曜日

ベラルーシの部屋ブログ

 2012年最初の活動報告となりました。

 1月23日にビタペクトTと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第128回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクトTを13個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2とビタペクトTは合計1896個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1670部となりました。
 今回で通算138回目のビタペクトT(ビタペクト2)と「チェルノブイリ:放射能と栄養」の配布となりました。
 延べ人数ですが、1896人の子どもにビタペクトT(ビタペクト2)を、1670家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)



(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

 今回は1家族が保養滞在していました。この家族は2010年3月にもビタペクト2を渡しています。
 そのときのようすはこちらです。
 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第100回」(家族A)


 
 この家族は家庭タイプ孤児院の家族です。今回はお母さんが実子2人と養子9人と知人の養子3人を引率していました。
 前回の体内放射能測定の結果と今回の結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。

母親(事故発生時6歳)7ベクレル → 16ベクレル 
長女(14歳) 11ベクレル → 22ベクレル ○
長男(12歳) 12ベクレル → 33ベクレル ○
女子(15歳) 19ベクレル → 25ベクレル ○
女子(14歳) 24ベクレル ○ → 28ベクレル ○
女子(12歳) 25ベクレル ○ → 37ベクレル ○
女子(12歳) 21ベクレル ○ → 25ベクレル ○
女子(12歳) 14ベクレル → 23ベクレル ○
女子(10歳) 14ベクレル → 15ベクレル ○

 前回保養滞在していた21ベクレルの女の子(当時14歳)と22ベクレルの男の子(当時10歳)は今回滞在していません。
 女の子のほうは年齢が高くなり、今回の保養に参加できませんでした。男の子のほうは実の両親の元へ戻ったため、今はこの家族と暮らしていません。

 さらに最近養子にした子ども2人と知人の養子3人は今回初めての保養滞在だったので、測定も初めてとなります。

女子(14歳) 27ベクレル ○
男子 (8歳) 25ベクレル ○
女子(11歳) 17ベクレル ○
女子(10歳) 16ベクレル ○
女子 (8歳) 35ベクレル ○

 この家族はゴメリ州ジトコフ地区にあるビリチャ村(チェルノブイリ原発から約128キロ)に住んでいます。知人はその村から8キロ離れたところにあるグリャダ村に住んでおり、やはり家庭タイプ孤児院の家庭だそうです。たくさん養子を育てていますが、そのうちの3人が今回引率されて保養に来ていました。

 今回は体重1キロ当たり20ベクレル以下の子どもにもビタペクトTを渡していますが、お母さんが今回の測定結果が前回より悪くなっているのを見てびっくりし、15ベクレルでもビタペクトTを飲ませたいと強く希望したので、渡すことにしました。
 みんなでなかよく飲みましょう、とお母さんは子どもたちに話していました。
 前回飲んだ子どもたちにも特に下痢のような症状はなかったようです。
 
 どうして今回は高い数値が出たのか、お母さんは分からない、と話していました。しかしもしかすると
「夏に村の近くの森で集めたビルベリーのせいかもしれない。」
とも言っていました。食品の測定をしたほうがいいですよ、とSOS子ども村の医師リリヤ先生がアドバイスすると、村の中にある保険所で測定をしているそうです。
 でもビルベリーを測定しようとは思わなかったそうです。しかし同じ村に住む両親が家庭菜園でたくさん作ったキュウリを青空市場で売ろうと思ったので、測定に行ったそうです。市場で売るとなると測定済みであることが条件になっているそうです。
 その結果大丈夫だったので、そのキュウリは市場で売ったそうです。
 測定そのものは有料ですが、「とても安い料金だったと母が話していました。」・・・そうです。あまりにも高額だと、キュウリを売った売り上げが測定代に消えてしまういますよね。そうすると誰も市場で野菜を売ろうとしなくなります。

 子どもたちの健康状態ですが、8歳の男の子を除いてみな健康だそうです。
 この男の子の生母は妊娠したときに、子どもはすでに何人かいるしもうこれ以上生みたくない、と中絶しようとたのですが、法律上、中絶をしてもいい期間を過ぎていました。
 それで知り合いの医者に頼んで、(どうやら嘘の)診断書を出してもらいました。それには「母子ともに危険があるので、出産は望ましくない。期間は過ぎているが中絶するほうがいい。」と書いてありました。
 それを持って病院に行き、ありとあらゆる薬を飲んだり、注射したりしたそうです。
 ところが子どもは死なず、未熟児のまま生まれました。母親はすぐに親権放棄。子どもは施設に入れられました。
 2歳になっても全くしゃべることができず、とても体が弱かったのですが、1年ほど前この家族に引き取られました。
 今では少ししゃべるようになりましたが、どもりがひどく、またしょっちゅう気管支炎にかかるそうです。
 しかし養母は特殊学校ではなく、普通の学校に入学させたいと希望し、去年小学1年生になったのですが、成績はいいけれど、ほとんど話をしたりすることがないそうです。

 12歳の女の子のうち1人は、育児放棄(両親がアル中、今は服役中。)にあっており、引き取られた直後、
「ここでは毎日パンが食べられるの?」
ときいたそうで、喜んで出されたご飯を食べていたら、腹痛を訴え、入院しました。腸炎と診断され、手術をし、今は健康ですが、医者からは
「幼少のときから極端に少ない量の食生活を送っていたのが急にたくさん食べたので、慣れていなかった消化器官がびっくりいして炎症を起こした。」
と説明されたそうです。

 最近引き取った14歳の女の子は、中学生の年齢なのに、顔や体、髪の毛の洗い方が全く分かっていなかったそうで、養母が一生懸命教えたそうです。今まで生みの親とどんな生活をしていたのでしょうか?

 国はこのような家庭タイプ孤児院が増えることを奨励していますが、一方で肉親と暮らすことが子どもにとって最良である、という考え方も示しています。
 それは当然なのですが、生みの親が育児放棄したり、無職だったり、暴力を振るったり、というような場合はどうなのでしょうか?
 以前引き取っていた男の子は生みの親が刑務所から出所したとたん、
「やっぱりいっしょに暮らしたい。」
と言い出し、そうなると養親より肉親のほうが法律的に立場が強くなるので、子どもはいやいや生みの親の元へ戻ったそうです。
 養母がその子のようすを見に行くと、あばら家のような家で、レンガを自分たちで組み立てた薪ストーブがあるだけ、しかも幼い兄弟もたくさんいる、という状態だったそうです。
 養母さんはかつてに養子に「何かあったらいつでもうちに戻っておいで。」と言って心配しながら別れたそうです。
 行政ももうちょっと、肉親側の生活条件や経済状況を厳しくチェックして、ある程度の基準をパスした両親にだけ子どもを戻すようにするとか、法律改正をするべきだ、と思いました。 

 他にも生みの父が出所したとたん、「うちの子どもを返せー!」と夜中に電話を何回もしてきたり、子どもにストーカー行為をしたり・・・といった大変な苦労話を聞きました。
 それにしてもこのお母さんには尊敬の一言です。
 今は12人の養子がいるそうですが、うち1人は検査入院中で、保養に行けませんでした。
「病気になったのですか?」
と尋ねると、
「この子も最近引き取ったのですが、落ち着きがなく、行動に異常がある、と学校側から言われ、神経系統の病気かもしれないから、念のため検査入院するように言われた。」
のだそうです。お母さん自身は
「心理カウンセラーに相談したこともあるのですが、神経の異常などではなく、幼少時に親から優しくされたり、甘えたり、ということがなかったのが、原因だと私は思っています。うちで暮らしていくうちに治ってくると信じています。」
と話していました。

「海草を食べましょう。」と話をすると、
「海草や魚は嫌い!」と言う子と「好きです。」と言う子に分かれました。嫌いと言う子は最近引き取られた子でした。
 でも「このお母さんと暮らしていくうちに海草を好きになるよ。」と「先輩」格の子どもが言っていました。

 今回もいつものように子ども達に折り紙、リアルな野菜やお菓子の形をした消しゴム、おもちゃの笛、定規などをプレゼントしました。お母さんにはアクリルたわし。折鶴をあげるととても喜んでいました。

 最後になりましたが、ビタペクトTの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわしなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

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