The Battle of Evermore 2003 The Battle of Evermore by 清水義央 (2003)
●KENSO発祥の地、県相でのライブについて
クリスマスも近づいた今日この頃、お父様お母様でKENSOファンの方々、 いかがおすごしでしょうか。
「ハレ紀ライブ」の直前だったと思いますが、私のこどもが
「ねえ、サンタクロースって、パパなの?」 と訊ねました。
(ああ、ついにきたな)と思い、同時にまさに自分が、
(もしかして、サンタって、親?)という疑問を持ち始めた頃、
ある日偶然に物置きの階段に派手な包装紙に くるまれた「サンタクロースからのプレゼント」を
見つけてしまった時のことを思い出しました。
毎年この時期になると、子どもに気付かれないようにクリスマスプレゼントを探して
慣れないお店を右往左往しています。
もちろん、間もなく彼女も知ることになるのでしょうが、、、、、、、。
河合隼雄先生だったかが「小さい頃、サンタクロースを本当に信じた人は、
大きくなっても、心の中にサンタクロースの居た場所が残っている」というようなことを話されて
(或いは書かれて)いました。
「どうせいつか分るんだから最初から真実を教えたほうがよい」 という教育方針の方に対し
反論するつもりはありませんが、
私としては、大人になってもサンタクロースの居た場所が残っていた方がいいように思います。
さて、今回は相模原高校記念式典ライブについてで、高校生からのメールも掲載すると告知しました。
もちろん、後でお約束は果たしますが、その前に、ひとつ、今日、
正にさっき観て来たコンサートに ついて書きます。
今回のこのコラムは、少なくとも私にメールをくださった高校生の方々は ご覧になるでしょうから、、、、、
よい機会だと思うので。
今日、観てきたのはSwedenのグループ、Frifotです。
無理にジャンル分けすればトラッドミュージック ということになるのかもしれませんが、
優れた音楽のほとんどがそうであるように、
様々な要素が高い次元で融合された本当に素晴らしいグループでした。
Swedenでは人気もあり若い音楽家への影響力もかなり大きいと読んだことがありますが、
そうだろうなア、ホント、すごかったです。
私は整理番号6番をゲットできたので、2列目のど真ん中、しかも自分の前には丸いテーブルが あって、
自分の前には誰も座っていない、、、、最高の状態で、
生楽器の繊細な歌い回しや、それはそれは見事なアカペラがPAを通さずに聞こえる席でした。
ありがたや!
会場は割と小さく、でも満員で、とてもよい雰囲気でした。
でも、私としては、特撮ばかりで内容の無いアホ・アメリカ映画(なぜかヒットする)同様、
演出ばかりお金がかかっていて肝腎の音楽がさっぱりのコンサートに行って、 それでも満足している
(というか、世の中には、もっと他に本当に素晴らしい音楽があることを 知らないで、
拝金主義マスコミの情報に誘導されてきた)リスナーの10000分の1でも、
Frifotのように人類の宝とも言うべき音楽を聞きにこないかな、と心底思いました。
Frifotの招聘に関わったW氏は、かつてGENESISファンクラブの会長だか副会長だかを 務めた
言わばプログレ人なのですが、久しぶりに再会したW氏と終演後
「これなんだよね。 僕達がかつてロックに求めていたのは、こういうものなんだよな」という話をした。
今から30数年前、所謂プログレバンドの中で最初に聞いたのはたしかピンクフロイドだったけれど、
「なんなの、これ?!?!」ともかく全然、今まで聞いたことのない音楽だった。
でも、思春期の感受性が大いに揺さぶられた。
ここ数年、トラッド系の音楽のコンサートに通うのも、
そこにはまだ 「なんなの、これ!」っていう新鮮な衝撃を受ける可能性が大いにあるからなのだ。
終演後には、本番中に穴のあくほど見てしまったオリジナル楽器(アイリッシュブズーキと
マンドリンを組みあわせたような感じで、ちょっとここでは明かせない"すげえ"仕掛けがしてあった)
をメンバーのAleさんに見せてもらい、解説までしてもらった。
しかも! 「弾いてみるかい?」と、その貴重な楽器を弾かせてもくれた。感謝、感激。
弾いてみて、その響きに素晴らしさに、またAleさんの卓抜したアイディアに感服した。
高校生諸君、
今は、君たちの好きな音楽、それがセックスマシンガンズなのか"ゆず"なのか 知らないが、
勿論それを聞いていてなんら悪いことはない。
まずはその音楽が"好き"かどうかだから。
しかし、おじさん(相模原高校の生徒さんにとっては先輩)は思うのだ。
例えば、おじさんが高校時代に夢中になったLED ZEPPELINが、
解散から20数年たっても、 その音楽が輝きを失わず、
それどころか30年以上も前の映像が同世代のみならず次の世代にも衝撃を 与えるということが、
今、君たちが夢中になっている音楽でもありえるのか、、、、。
「別にありえなくたっていいじゃん」
その通り。
20年30年その音楽を聴き続け、自分がその音楽を心底愛したことを 幸せだったと感じるか。
「別に感じなくたっていいじゃん」
その通り。
でも、ちょっとだまっとれ!
おじさんも中学のころ、何かで知ってバリ島のガムランのレコードを買った。
ぜんぜん良さが分らなかった。
また、ロックミュージシャンがインド音楽(というものがあるのか、と最初は思った) からの 影響を
語っていたので、なけなしの小遣いを使ってインド音楽のレコードを買った。
情報がなかったので値段の安いのを買ったら、なんか、シタールの教則レコードみたいだった。
そこには、Jimmy PageもGeorge Harrisonもいなかった。
でも、随分たってから、それらのレコードのことを思い出し、聴いてみたら、、、、、、よかったんだよ。
音楽はそのままだった、自分が成長していた。
そういうことがあるから、自分が音楽を好きだと思ったら、
あるいは本当の意味で楽器で何かを表現したかったら、 今のうちから色々な音楽を聴いておいた方がよい。
多くの音楽に触れる時間とお金を惜しまないことだ。
(先日、同窓の忘年会の帰りに、ひとつ下の大変優秀な歯科医から思いがけず、
小学校の時にバロック音楽が好きになり、いまだにバロックが好きで、
LP,CD合わせて20000枚以上持っているという話をきき、なんか嬉しくなった)
そう言えば、ジェスロタルのI.アンダーソンが「日本人は軽薄だから嫌いだ。
自分が愛したモノをずっと大切にしないから」というようなことを 語っていたな。
そういう人ばかりじゃないけど、でも、そう感じるかもな。
Frifotの素晴らしいコンサートからの帰り道、 変拍子の歩行をしながら、
そんなことをとりとめも無く 考えていた。
さて、次は4月に来日するVASENだな、、、、。(これもSwedenのバンド)
東京公演2日ともチケット購入しよっと。
楽しみだ。
さて電車を降り、駅を出て、
この前痴漢を捕まえた付近にある オリジン弁当で晩御飯を買い(って書くと侘びしい感じがするけど、
素晴らしい音楽で心が満たされているから、全然平気)、
帰宅したら、 冷蔵庫に子どもが作ったと思しきケーキが入っていた。
「私がひとりで作ったんだよ。食べてね。じゃあ、おやすみ」
という メモが添えられていた。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なんか、最高の夜だった。
さて、では"記念式典ライブ" について書こう。
10月31日に、相模原市民会館大ホールにて神奈川県立相模原高等学校の創立40周年記念式典が
厳粛に執り行われた。
我々は、その式典の後半に文化行事として約100分のパフォーマンスを 行った。
観客は、現役の生徒さん約850名、学校関係者、歴代校長、同窓会役員、PTAなどなど 1300名くらいであった。
実を言うと、川崎クラブチッタでの『ハレ紀ライブ2003』の企画より前に、 この記念式典ライブの計画があった。
で、そのあたりで三枝くんも一時帰国してもらうなら、
一般オーディエンスへのライブもやろうかということになった。
まず2002年の10月に相模原高校のKM先生から、突然こんなメールが届いた。
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初めまして。突然のメールで失礼いたします。 私は神奈川県立相模原高校の教師で、KMと申します。
相模原高校は来年2003年で創立40周年を迎えることとなりました。
多くの地域の方々、OBの皆さんに支えられ、生徒は勉強に、部活に、行事に大活躍し ております。
実はぜひ、KENSOのライブをぜひ創立40周年記念でお願いしたくメールした次第 です。
私は年齢40代後半でプログレも大好き、KENSOも前から存じておりました。
たまたま40周年行事の係になり、KENSOの話題が出たので、
さっそくためしにCD「夢の丘」を職員に聴いてもらったところ皆、絶賛でありまし た。
それで、ぜひKEOSOライブを実現したい!! という話になり可能かどうかお伺いしたく
突然のメールを出させていただきました。
会場は2003年10月31日(仕込み30日可能)相模原市民会館を押さえました。
県相の卒業生で世界的に活躍しているKENSOのライブを実現できたなら、
在校生すべてに聴かせることが出来たなら本当に嬉しいと思っております。
もし可能性があるようでしたら、お会いして、経費や条件等をご相談させていただきた いと思っております。
また所属プロダクション等ございましたら担当者の連絡先などお 教え下さい。
無理な場合もメールにて早めにご一報下さい(みんな楽しみにしています)。
とにかく突然のお願いで申し訳ありませんが、ぜひご検討お願いいたします。
2002/10/11
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「相模原高校かあ」 どうかなあ、三枝が帰国できるのか、
村石、光田のスケジュールはどうだろう。
まあでも、やってみたいな。
と考え、次のような返信をした。
(KM先生の文章と私の発言の一部は割愛)
KM先生、初めまして。
kensoのリーダー、清水です。
私は確か10期生です。
光栄です。
ありがとうございます。
私も、実現できればと思うのですが、
現在のバンドには、御存知のとおり県相の卒業生は私しか おりません。
私自身はノーギャラでもいいのですが、 他のメンバーはそういうわけにはいきませんし、
コンサートの諸経費もかかります。
そうした金銭的問題があります。
それとスケジュールの問題があります。
ドラムの村石とkeyの光田は、大変に多忙で、 来年の10/31が既に埋まっている可能性もあります。
更にベースの三枝は現在ボストン在住(まあ彼は、重要なライブで あれば帰国しますが。
今年6月の新作発売記念ライブには帰ってきて くれましたし)。
全員が会えるのは、1年のうち数日だけという現状です。
USAのロックフェスから毎年のように依頼がきても、 スケジュールがあわず、2年前に初めて実現した次第です。
(この時も光田は参加できず、現在T-スクエアなどのサポート をしているの河野啓三くんが代役)
お金とスケジュールの問題をクリアしたとして、
あとは彼等自身がこの企画に意義を見い出すかという問題が あります。
kensoは彼等にとっても、普段の仕事ではできない アーティストとしての自己表現の場です。
だからこそ、 普段の仕事に比べたら、あまりお金にはならないkensoの 為に、
その才能と熱意を注ぎこんでくれていると考えます。
それだけに彼等の気持ちが重要になってきます。
可能性はあると思います。
メンバーにも誠意を持って、呼び掛けてみます。
こちらからの質問です。
1:市民会館のキャパは何人くらいでしょうか。
相模原のPA会社を使って、そこから安く機材を
借りれれば、多少経費削減できますが、
PAエンジニアおよびモニターエンジニアの2名は、
kensoと活動をともにしている人間でないと
無理だと思います。
2:観客は、生徒さんの全員?の他に、
一般にもチケットを売りますか?
3:コンサートのバンド側の重要な収入源は、
ライブ会場でのCD即売ですが、
非営利コンサートの場合、これができないことが あります。
今回はいかがでしょう。
4:録音やビデオでの撮影をする場合、その権利は すべてKENSO SIDE に所属します。
つまり自由に、何かの会合で映写したりはできません。
よろしいでしょうか?
最近海外で、関係者以外持っていないはずの海賊ビデオが出回ってしまい、驚いています。
そうしたことを防ぐためです。
以上、現実的なことを申し述べました。
私としても、若い世代に自分たちの音楽を伝えたい気持ちは 強くあります。
それが、母校の後輩とあればなおさらです。
ただ、やはり一流プロミュージシャンを抱えるバンドとしては、
現実的な事柄を無視するわけにはいきません。
そのあたりの事情をくみとっていただき、 御検討ください。
では、本日はこれで失礼します。
清水義央(しみず よしひさ)
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村石さんのお話、そうだろうなあ・・と思いました。
清水さんには大 変ご苦労をおかけし申し訳なく思っております。
しかし、なおさら生 徒達に生を聴いてもらうことができたらと思い、
なんとか工夫して実 現できたらと思っています。
式典の日程をずらすことは可能なのか、 については難しい点があります。
1,まずホール押さえが1年前であり、しかも抽選であること。
2,それから学校のスケジュールとして前年度中に日程を確定する必要 があること(つまり3月上旬までに)、
特に今回は創立記念行事で早 めの確定が望まれています。
3,またKENSOライブが無理だと判明すると代替する企画を立ち上 げることになり、
それに相当な時間が必要になること。(学校側)
現時点で日程変更が全く不可能ということではありませんが、
学校行 事とホール押さえの抽選を考えると変更(代替日)もかなり事前に決 定する必要があります。
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というようなやり取りが毎日のようにあり、
光田と話しあって、 もしお金の問題があっても、それは何とか工夫すれば大丈夫ではないかと、
「色々とやり方はありますよ。それ以上に、kensoというバンドの原点である 相模原高校でやるという意義が大きい」
という光田の意見が、大変に大きな支えとなった。
まあ、それから色々な現実的な交渉があって、
一時は村石くんが 「そのあたり、NGかもしれないのでトラも考えておいて欲しい」ということになり、
トラということになれば、小森くんしか考えられなかったので、 彼に連絡、快諾してくれた、
でも結局、村石くんのスケジュールがOKになり、
「小森くん、またしても、ごめん!」(かつても、こういうことがあったのです) という経緯もあって、
今年(2003年)の小森くんからの年賀状を見ると、
そんな経緯があったにも かかわらず「いざという時はいつでも呼んでください」って書いてあって、
有難いなあと感じたことを思い出す。
まあ、とにかく10月のKM先生からのメールから、
いくたの困難を 相模原高校サイドとkensoサイドが乗り越えての実現であった。
最大の困難は、もちろん、5月某日に突然、村石くんのスケジュールが NGになったことだったが、
まあ、それはもう過去のことだからいいや。
結果として「KENSO with 小森啓資」は、最高のライブができたんだし。
あ、そういえば、5月だったかに校長先生への挨拶もかねて 母校を訪問した時のことは
このコラムにも書いたので、 まだお読みになっていない方は、序章として読んでください。
さてさて、 様々な思いでむかえた記念式典ライブ、楽器搬入は前日の30日。
小学校の時のピアノ発表会、中学の時のブラスバンドコンクール、
高校時代は 自分は出演しなかったが、ELPやYESなどのフィルムコンサートや
日本のバンドの コンサートを見にいった、
そしてロンドンブーツにラメのシャツといういでたちで 出席し、階段からこけた成人式、、、、
そんな懐かしい相模原市民会館に昼過ぎに到着。
楽器搬入を手伝ってくれている軽音楽同好会の生徒さんたちと対面、
御礼にKENSOのCDを まるでサンタクロースのようにプレゼント。
「え、うれしいかも」
「ちょっと、すごいかも」という反応が楽しい。
ああ、高校生なんだな。
茶色い髪の子も、携帯みている子こもいるが、なんかすごい元気だ。
私自身の中にエネルギーが注入される感じが確実にある。
こんばんは〜
今自分が注目してるのはアフリカ系ですかね〜
アリクエア、アンゴラ航空、ロイヤルエアモロッコ、ここら辺はなかなか面白いですね〜
アフリカの経済が発展してる証拠なのですかね。最新鋭の機体を導入してることでしょう。
クラシックジャンボは毎日のように見ますよ^^;
今、このコメントを入力してる時間でも、、、エバーグリーンが・・・
メジャーのない飛行場に行けば沢山のクラシック機が見れるのもマニアックですよね^^;
2011/9/4(日) 午前 7:13